小説 運タマギルー 35

連載小説
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考える。脳みそはこん棒でカチ割ったようにしてグラングランと、酷く重痛かった。

ひとつ水を飲みたくて井戸口へ顔をのぞかせてみる。のどはからからに乾いていた。しかしこの場所、自分が背中を流した時とまるで異なっている。

あれ? ここの石畳……コンクリートになってる……。それに、水が出ているパルプの筒なんかあったっけ……? でも、そんなことよりも、とりあえず水を飲まなければ干からびてしまいそうだ。筒から口内へ水を含む。おい……しい……。

それにしても衣類が焼かれてなくてよかったと思った。そうでもない。帯がなくなっている。今、ベッキーは浴衣がはだけた状態で胸元と股間が露出していた。

やけどの跡はないわね。髪の毛も溶けてないし、容姿自体は大丈夫だったんだ……。でもひどい。あそこから血が出てる。どうしよう、赤ちゃんが流れたのかしら? その前に妊娠してるかもわからないのに。でも、子宮は感じたのよ。生命が宿ったって。だからこの流れる血をどうにか止めなきゃ。どうしようどうしよう……。お願い、誰かいませんか?

「きえぇぇ――!」

ハッとする。え? わたしいま、助けを求めたはずなのに? どうしてそんな発音になるの? きえぇぇ! だなんて、まるで狂っている女のようじゃない。もう一度声を出して。もういちど声を出すのよ。わたし……。

「き、きえぇぇ――!」

おかしい。おかしな話よね。これじゃまるでわたしが言葉を話せなくなったようだわ。違うでしょう? そうではないのでしょう? わたし……。

「きえぇぇ! きえぇぇ! きえぇぇ――!」

嗚呼、とうとうわたしは駄目になってしまったのね。でも、それってあんまりじゃないのかしら? だってそうでしょう? わたしはただ、ご主人様の帰りを待っていただけなの。それからお留守番のご褒美をいただく予定だったのだわ。それがどうしてそうして火だるまになるっていうのかしら? ほとほとうんざりしちゃう。ええ、とても熱かったわ。熱いってものでは足らないくらいにひどい仕打ちだったの。でもまさか生き返るだなんて思ってもみなかったこと。どうしてわたしはこの井戸にいるのかしら? ここで目を覚ましたのかしら? それ以前にこの世界はまだ夢の中なの? ちがう。そうなのでしょう? だって、こうしてパルプの筒が飛び出しているんですものね。あの時代にはなかったはずよ。技術だって到底追いついてはいないわ。じゃあここは? ここはパラドックス前の世界だっていうの? ええ、きっとそうね。そうとしか考えられないわ。でもあれでしょう? わたしは言葉を失った女。発音をまともに発せないの。それってどうしたらいい?

「きえぇぇ! きえぇぇ! きえぇぇ―――!」

やっぱり言葉が話せないわね。それにこの格好。今、人が来たらどうなるかしら? おそらく山姥か何かだと勘違いされて大鎌で首をぎっちょんされてしまうのだわ。嗚呼、嗚呼……。

「きえぇぇ! きえぇぇ! きえぇぇ――!」

さっきからいったい何なのかしら? わたしったらうるさいったらありゃしないじゃない。わかりました。ええ、わかりましたとも。じゃあこうしましょう。まずは黙るの。そしてそれから深呼吸をして心身を落ち着かせるのだわ。はい、これでもう大丈夫よ。さあ、誰か人を呼びましょう。そうれっ♪

「きえぇぇ! きえぇぇ! きえぇぇ――!」

嗚呼、わたしはやっぱりだめなのね。ねえ、ご主人様。もしご主人様がそばにいてくれたらどれだけ心強かったか。わかりますか? わたしのこの気持ちを察してくれますか? ご主人様、隠れているのは分かっているのですよ。さあ、おいでなさいな。そこのススキ群の裏に隠れているのでしょう? さあ、ごしゅじんさま、はやくおいでなさいな。

きえぇぇ! きえぇぇ! きえぇぇ――!

きえぇぇ! きえぇぇ! きえぇぇ――!

わたしはわたしはー♪ わたしはだれなのー♪

ええ、それはね、実はいうとシンデレラなの。でもそれってちょっと違うかしら?

あなたはだれー♪ ここはどこー♪

じゃんくじゃんくじゃんくじゃんく……♪

きえぇぇ! きえぇぇ! きえぇぇ――!

こうしていきていただけでもきせきねー♪ それからそれからー♪

でもみてちょうだいな。お洋服は浴衣で帯がないの。露出狂で恥ずかしいわ。

みんなにみせたいのー♪ むなもとをみせたいのー♪

いいえ、この胸はご主人様だけのものなの。だってだって。ごーしゅーじーんーさーま―♪ じゃんくじゃんくじゃんくじゃんく……♪ きえぇぇー♪

あしたがあってここがあるようにー♪

ここにあなたがいてこそきょうがあるのねー♪

それからそれからー♪ このよはじごくなのー♪ てんごくなのかしらー♪

それはどうだかわからないわ。でもでも、こうして水ははぐくまれている。これって奇跡の代物ではないのかしら?

わたしは―♪ わたしはー♪ ゆめをみていたのー♪

そうよ、とっても恐ろしい夢を、みていたのだわー♪

き、え……。き、え……。きえぇぇぇ……。

ご主人様、ご主人様。やはりあなたはお亡くなりになられたのですね? 殺生を、殺生をされてしまったのですね? わたし、なんだか幻を見ているようでした。けれどもそれらにはちゃんと匂いがあって、形成されていて、影があって……。ご主人様にはもう会えないのでしょう? 許されることではないのですか? わたしはとても寂しい……。きゅっと心臓をわしづかみにされてしまって、窒息死してしまったかのよう。本当のところは、わたしとて、本当のところはわたしとて幻なんだわ。そうなのでしょう? ご主人様。

ベッキーは井戸端で横たわる。疲れてしまった。精魂、力尽きてしまった。瞼を閉じると乾いていたはずの涙が一滴、そっと頬を伝う。意識が揺らいでゆく。薄くなっていった。その時だ。

「ベッキーや」

ご主人様? ご主人様なのでしょう? その声はきっと、いえ、間違いなくご主人様だわ。嗚呼、なんということでしょう。わたしは、わたしは……。

同じ声が届く。ベッキーは声のするほうへ顔を向けているのだが、一向にご主人様は現れてはくれない。

ごしゅじんさまぁぁ! ごしゅじんさまぁぁ――!

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