小説 運タマギルー 最終話 特大号

連載小説
連載小説

滝川寛之の無料連載小説

「――それで、産むことにしたのね?」

優しくて柔らかみのある美声は当初から好印象だ。ベッキーは思う。こんなにきれいな声だったらどんなに良かっただろうと。だってわたしったら、断末魔のなかで叫びくるってしまって、声帯をやられてしまったんですもの。いまではすっかりかすれた声になっている。一生懸命にきれいな声を出そうとしたところで無理なのだわ。こればかりは仕方ないものね。

「ところで、しずかちゃん」

いま、ベッキーは新しい名前がついている。いわゆるあだ名なのだが、当初、動揺して物静かだったことから、そう呼ばれるようになった。本当のところは自身の名前を覚えているのだが、身寄りのないほうが、生まれてくる赤ちゃんにとって、自分にとって、好都合だと計算したうえで誰にも教えていない。

「おなかの赤ちゃんは男の子だった? 女の子だった?」

そら来たかと思った。

なるほど、今日はそれを知りたいのね? うふふ♪ どうしようかしら? 教えてあげてもよいけれど、少しだけもったいぶりたい気持ちもあるし。でもでも、怜先生はよい人だから、だから教えちゃおっかな?

「おとこのこでした……」

「そう……」

口ごもりはだいぶ良くなっている。これもそれも毎日のように怜先生と会話を楽しんでいるおかげだ。本当に感謝している。このひとになら一人息子を託せるわね。そう思った。相変わらず性格のほうは物静かで通っている。看護師どころか担当医ともあまり話をしない。心を許しているのは怜先生だけだ。

ベッキーはいまだに鏡を見るのが怖い。用足しの時には仕方なしに手洗いの鏡を黙視するけれども、映されるその自身は別の人間だと決めつけた。写真撮影などはもってのほか。ただし、カルテ上の撮影だけは協力するしかない。素っ裸の状態ですべてを撮影されるとき、彼女は殺気みたいなものを覚える始末。悔しくて悔しくてしょうがないのだ。それは、ベッキーが女として自身を意識しているということ。羞恥心とは理性。まだ女を捨ててはいない。だがしかし、それがのちに致命的といえた。

運玉ギルーについて話をしだしたのは出産間近の時。ベッキーは怜先生だけには話しておかなければならないだろうと、息子を託す人として知らさなければならないだろうと、思い切って打ち明ける決意をした。但し、口ではうまく伝えきれるかわからない。感極まって泣き出してしまうからだ。考えた挙句の判断。手紙を書こう。怜先生宛と息子宛に二通、書こう……。

拝啓

 

菊川怜先生、突然こんな手紙をいただいてもよい迷惑だと思います。それを承知の上でこうして筆を握りました。わたしはあまり手紙を書くということが苦手で、文章の未熟さを否めませんが、それについてあらかじめご了承ください。

わたしの愛する息子が生まれてから翌日に、わたしはこの手紙をサイドテーブルに置くことにしていますが、怜先生ならすぐに気が付いて、そして読んでくれましたよね?

私の記憶喪失について、ほんとうならば口で言葉にして話したらよかったのだけど、でも、感情が極まってうまく言葉を探せないような気がして、手紙ならうまく話せるかなと思ったのです。こころが落ち着いているときというのは中々なかったけれど、毎日悲しみと不安で上下に激しかったのだけど、けれど不思議なもので、今回、出産日が迫る中でひと時の安らぎみたいなのがあったのです。

わたしの名前は「静香ちゃん」と呼ばれていますが、本当のところは「ベッキー」といいます。名前からしておそらくはハーフか何かなのでしょうね。そこまでは思い出せないのだけれど、でも、そんな気がします。

ベッキーと判っただけでわたしの親元を探すのはやめてください。それだけは絶対にやめてほしいのです。全身やけどを負った遺体の姿で両親に会いたくはないから……。それに息子のこともあるし迷惑でしょう? 迷惑といえばこの子を施設に預けるということと、苗字についての手間などを考えれば、余計に皆さんへご迷惑かけてしまうかもしれない。でも、わたしは無かったことにしたいのです。わたしの存在を、わたしの生きた証を

それはつまり息子もなかったことにするのか? という矛盾点にまで及ぶでしょう。違うんです。わたしが言いたいのは、「お前のお母さんは全身やけどで自殺した」という事実を隠蔽してほしいということだけ。息子へは病気で亡くなったと、そう伝えてほしいです。それから息子の名前は「鐘」と書いて「ショウ」君にしてください。わたしとギルー様の一文字ずつ取った名前です。ベッキーの「ベ」とギルーの「ル」で「ベル」。それで「鐘」です。

わたしの未知の体験についても話さなければなりませんね。怜先生はタイムスリップだとか本当に存在すると思いますか? とても信じられないと思うけれど、わたしはそれをしたのちに現実社会のここへ戻ってきたのです。それが嘘のような話で息子の名前で察しがついていると思いますが、ショウの父親は、盗賊で伝説のあの運玉ギルーなんです。うふふ♪ とても信じられないでしょうね。でも、それが真実としてあります。

怜先生? わたしと出会ってよかったですか? 悪かったですか? 迷惑千万でしたか? それを聞かないままにあの世へ旅立つわたしをどうかお許しください。本当にこんな醜い姿のまま、今後、息子を育ててゆくことにどうしても自信が持てないのです。学校行事やその他いろいろあるでしょう? 施設へ入所して、怜先生が面倒見てくれたほうが百万倍もこの子は幸せになれると思ったのです。やはり迷惑な話でしたね。本当にごめんなさい。

わたしの遺灰は施設の森へ埋めてほしいです。できることなら隣接する運玉森へ撒いてください。灰の一部は、わたしが病室で作った子袋へ入れてもらって、ショウのお守りとして持たしてやってください。それからもう一通の手紙はショウ君へ。彼が二十歳の成人式を迎えたときに開くようくぎを刺しておいてください。もしくはそれまで怜先生が預かっておいてください。よろしくおねがいします。

本当にさよなら、怜先生。ショウ君。ひと時でも安らげたことは、わたしにとって宝物です。ほんとうにありがとう。ありがとう。それから最後の最後にもう一回だけ。さようなら、せんせい、しょうくん。

かしこ

某月某日

実に爽やかな風だ。秋の彼岸を終えるころか、旧盆を迎えるあたりから、決まってこの東風はわたしの部屋へ入り込む。深夜帯のいまごろは、与那原の浜辺から波しぶき音が、ザザー、ザザー、と音色のように届く。

あれから三年経つけれど、いまだ鮮明に色濃いのは、彼がこの養護施設で元気いっぱい毎日を過ごしているから他ならない。苗字はどうしようかと悩んだけれども、「菊川」の姓で本当に良かったのかな?

彼女の死にざまはあまりにもひどかった。だって、産婦人科院の屋上からの飛び降りですものね。彼女はどんな思いで最期を迎えたのだろうか? 最初のころは考えられなかったけれど、怒りもしたし、本当に哀しくて。けれども、彼女が選択したことですものね、今なら冷静にそう思うことができる。

彼は三歳になり、ようやくまともに歩けるようになったけれど、それでもまだ少年探偵団の一員は早いんじゃないかって隊長に聞いてみた。隊長の彼は”やるなら早いほうがいいんだよ、お母さん。”っていうけれど、ショウ君にとって、それは少しだけ試練みたいなものなのかなと思う始末で。

「れいせんせい、きょうね、びーだまあそびしたんだ♪」

彼は楽しそうにそう言ってきた日のことをよく覚えている。どろんこだらけで、たぶん、ビー玉遊びの穴を掘ったのでしょうね。言わずとも知れたこと。皆、そうして大きくなってゆく。

――ショウ君、この世界では逞しくなくちゃダメなのよ。

いつしか言ったことば、彼は覚えているかな?

「あなたたち! 性懲りもなく、また、運玉森で秘密基地造ってるのね――?」

でも強くは叱れない自分があって。だってみんなかわいいんですもの。そしてまた、なんといっても可哀そうなのよ。それを思うたびに涙がこぼれそうになる。いつしかショウ君が運玉ギルーについて訊いてくるのでしょうね。怪盗、運玉ギルーの話を聞かせてと、さもや昔話の童話でも聞きたがるように。それが本当だとしたら、たとえば彼が二十歳になったときに手渡すつもりの手紙に記されていたのならば、どんなリアクションをするのだろう? 楽しみのような、怖いような気もする。

翌日の昼下がり、ショウはビー玉会場にそびえる大きなガジュマルの下にいた。このガジュマルには錆びた五寸釘が打たれている。キジムナーがいたずらできないようにするためだ。そういう習わしが昔からある。

怜先生は当直を終えて帰宅していた。代わりとして見守っているのは背丈の小さい園長先生である。古びたグレーのジャケットに赤茶色のズボン。細い首からは紐ネクタイをぶら下げていた。黒ぶちのメガネは、ポマードによって整えられた頭髪によくマッチングしており凛々しく見える。

「ショウ君、この木に登りたいのかな?」

「うん! だって、みんなのぼっているんだもん!」

それじゃあ、もう少し大きくなってから幾らでも登るといい。慌てることはないですよ。

やだっ! おいらはいますぐにのぼりたいんだいっ!

おやおや、こまったこですねぇ。それじゃあこうしましょう。私のオフィスでお菓子でもいかがかな? 甘い甘いケーキがありますよぅ♪

「きのぼりやめたっ! えんちょうせんせいのところへいくもん!」

よしよし、よいこですねぇ。それでは皆さんにあいさつしてからゆきましょうか。ほうれ、皆さんにバイバイするのですよぅ♪ できますね?

うん! みんな! これからえんちょうせんせいのところへいくから、ばいばいっ! またあしたねっ!

「なんでぇ! 弱虫な奴だなぁ! 園長せんせい! 俺たちにもお菓子ちょうだい!」

「あっかんべー!」

やい! ショウ! おまえ俺らに向かってあっかんべーしたなぁ? 後でゴリゴリの刑だぞ! こうしてそうしてごりごりごりごりしてやっからなぁ! おぼえてろよ!

「ショウ君、少し耳を貸しなさい。いいですか? こう言ってやりなさい……」

うんっ――!

ショウのやつ、な、なんだよう? 偉そうに大の字なりやがって……。

「みんなきけぇ! わんねー、わんねー、うんたまぎるーやいびんどー!」

ふ、ふんぎゃあ――!

そう発する皆は次に爆笑して一か所へ集う。

それからショウ君を肩車し、園長先生のオフィスへ共に向かった。

 

おわり

無料連載カテゴリ

小説 愛するということ

小説 運タマギルー

自由詩 詩情

随筆 エッセイ

小説群

詩集群

ネットオフ「タダ本」

お勧めのカテゴリ一覧

すべての花嫁に花束を:銀座ダイヤモンドシライシ




コメントする