小説 運タマギルー 35

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ことをおもいます。

なあ、たいへんだったろうて。そうじゃろう? アンダーよ。おまえはろくすっぽ飯も食わずに、厚揚げ屋の古い油ばかり啜っておった。何ともみじめなはなしじゃて。それから若い衆の小便を飲まされ、叩きのめされ、ずいぶんひどい目にあったものよのう。どうれ? アンダーよ。あの時食った厚揚げはうまかったかのう? 美味いにきまっとる。おいしかったのじゃな? アンダーよ。アンダー、おまえのおとっつあんとおっかさんはこの世にいなくて、確か真玉橋で処刑されたのよのう? 人柱となってずいぶんひどい目に遭ったじゃろうて。その分も含めてワシはお前の面倒を見てやりたかったわい。しかしな、アンダーよ。まさかこんなことになるくらいなら、わしと会ったことは間違いだったのかもしれんな。

斬――。

あにき、あっしのことはだいじょうぶでげす。わずかな出会いでしたが、あっしは兄貴に出会えたこと、うれしいんでげすよ。なあに、この場に涙なんていりませんぜ。あっしはさいごに笑って死んじまいますから。どうかあにきはあの子娘と一緒に幸せになって下せえ。それであっしは報われますきに。嗚呼、これでようやく天国のおとっつあんとおっかさんに会える。あっしはうれしいんでげすよ。ですから最後は笑ってサヨナラですきに。あにき、どうかくれぐれもお達者で。先に行っておりますよ。

「アンダ――!!!」

涙声で大声を張り上げたギルーは、腰の後ろに持たしている鎌を持ち出し、円陣の中へ入ろうとします。

なんとしても、なんとしても、アンダーの死体を、アンダーの首を、持ち帰らなければならん。それからおっかあのそばに埋めてやるのじゃ。のう、アンダーよ。アンダーよ。いま、むかえにゆくでのう。むかえにゆくでのう。

「曲者、成敗――!」

斬――。

音と共にギルーの利き腕が剣を持った兵によって切り落とされましたよ。ちょうど力こぶの先から何も残されておりません。そこから非常に多量の血しぶきが噴き出しておりまして、その勢いだけでギルーは貧血を起こしそうになりました。

うおぉぉ――!

悲鳴を上げながらも咄嗟にこの場から逃げる。よろよろと、よろよろと、運玉森にある藁ぶきの小屋へ向かって歩きましたよ。しかし、止血もままならない状態でこの長い帰路は大変酷であります。それでも最期というべきか、それを察し、とにかく最後にベッキーへ会いたくて、会いたくて、よろよろと、よろよろと、魂のみで小走りに歩きました。だけども力が果ててしまいまして、とうとう倒れこんでしまいました。そのときです。

ギルーさん、ギルーさん――。

おお! その声は! どうした? いつもはご主人様と呼ぶくせに。まったくどうしたのじゃ?

ギルーさん、ご飯の支度済ませておきましたよ。さあ、一緒に食べましょう。食べましょう。

はて? 飯は食うてから出かけたはずじゃが? まったくどうしたのじゃ? どうしたのじゃ?

ギルーさん、ご飯の後はわたしをお食べになってくださいませ。さあ、はやく。早くお食べになりなさいな。

なんと! よっぽどの淫乱娘じゃのう。どうれ? うむ? 腕が伸びておる。伸びて元に戻っておるぞ? どういうことじゃ? どういうことじゃ?

ギルーさん、ギルーさん、ここは夢のまた夢の世界。わたしとあなた以外何もない素晴らしい里です。寂しく感じますか? 人気がないと寂しいですか?

何を言うておるかさっぱりじゃ。しかしのう、ベッキーよ。ワシはどうやら三途の川を渡った場所にいるということは承知したぞ。そうか、わしはもう駄目だったか。しかしベッキーよ、お前がいてくれればなんも寂しくはない。さあゆこうぞ。あの世へ。もう一つの世界へいざゆかん――。

「べ、ベッキー……」

うつろな眼から再び涙が溢れてきます。ギルーは先のない利き腕を天へ伸ばしてベッキーの幻影をつかもうとしました。駄目です、届きません。

べ。ベッキーよ……。

ここは昔々の世界。あたかも本当にあったかのような幻の世界です。幻の中で幻を見ることなどあるのでしょうか? しかし、たしかにギルーは、最期に素っ裸の女房を見たのでした。

腹をすかしたカラスの群れが彼の周囲へ集まりましたよ。もはや息をなしていない。彼は誰一人ないこの場所であの世へと旅立ったのでした。

 

 

「火をつけぃ――!」

ベッキーは炎の轟音の中にいた。いま、小屋が全焼している最中だ。

彼女は待っていた。ギルーが帰ってくるのを待っていた。しかしいくら待てども顔を見せやしない。

いちど村へ降りてみようか悩んだ。けれども我慢に我慢した。

おねがい、ご主人様。無事に帰ってきて……。

祈りは届いただろうか? 彼女は思う。しかしながらこちらへ向かってきたのは数名の兵士。

嗚呼、そうか。わたしは死ぬのね。

悟るようにして考える。それからご主人様もきっと死んだということ。それを思うとつらくなるばかり。いっそのことレイプされて殺される前に自ら命を絶とうかとも考えた。しかしそれも叶わず、先に火をつけられてしまった。

清々したといえばそこまで。死ぬことなど怖くはない。もはや絶望だったのだから。ベッキーは最期に”きえぇー!”と奇声を上げてみせた――。

ベッキーは井戸端にいる。あの運玉森の中の井戸でひとり横たわっていた。目を開けた彼女はそのことに関して何やら異変を感じずにはいられない。

一体どういうことなの?

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