
滝川寛之の無料連載小説
目次
を与えることもおろそかにはできないので、結局は力仕事をやってのけてしまったのです。それはそれは死んでしまった方がいいくらいに疲れ果てました。
ギルーはすくすく育ち、徐々にですが離乳食をほおばるようになりますよ。この時代の離乳食は母親が紅イモを口の中でくだいてから唾液ごと口移しするのが通底していてですね。そりゃあ現代人からすればゲテモノなのですが、満足に時間を有している時代ではありませんからねぇ。生きるか死ぬかの瀬戸際ですから、これっきしの事なんかなんとも思わなかったのですよ。
離乳食を済ませた後は、再びすやすや背中にくるまれたまんまで眠りにつきます。
さあて、少しばかり暑いねぇ。ギルーをむこうの木陰においてから肥やしを撒こうかねぇ? さらさっさっとよいこらしょっと。ギルーよ、今起きちゃなんねえぞ。もう少しねんねしてしまいなさいて。その方が助かるというやつじゃてのう。よいこらしょっとこらしょっと。
おっかさんが畑仕事の続きをしていると、ほうれどうしたものか、幼いギルーが起きだしてきましたよ。滑舌のままならない言葉で”アンマーアンマー!(おっかさん、おっかさんやい!)”叫んでいます。
やれやれ起きだしてきたか、ギルーよ。それじゃあ今日はこの辺で帰るとしようかねぇ。まだ日が暮れてないというのに、まったく世話の焼ける子供じゃて。まあまあ、仕方ないこともあろうて。あたしゃ旦那様がおらないのだからねぇ。仕方のない事じゃ仕方のない事じゃ。よーい! ギルーよ! ここまでヨチヨチ歩きできるのかい? 生きるのは厳しいぞよ。あたしに甘えんのは来年までじゃて、はやくあるけるにこしたこたぁーない。さあさあ、ギルーよ。歩く練習してからおうちさいくだよ。今夜の晩御飯にはおっかさんお手製のみそで作った紅イモ味噌汁もついているぞい。そいつは首里のお京じゃあ田舎汁言うんだと。あんたもお京へ行く時が来るかもしれねえ。今のうちに体鍛えて戦いの世界へいくだ。男の世界は厳しいど。なあに、時期になれるってもんさ。だけどなぁギルーよ。もし負けてコテンパンに伸されてみろ、おっかーがお京まで行って紅イモ味噌汁くわしてやっからよ。あんときの田舎生活は酷いもんだったってゆってなぁ元気出すんだよ。それからもういっぺんでいい。戦え、戦い抜くだよ。ギルー。負けちゃなんねえ戦もあるもんだ。あんたが正義なら誠を通すんだよ。ほうれ、ギルーや。歩く気がしてきたかい? さあ、歩け。歩けギルーよ。歩くんだよ。歩いておくんなまし。
今夜、ギルーはおっかさんがよそって砕いた紅イモ味噌汁をカエルの腹になるくらいたらふく食った。それはそれはおいしくてたまりませんでしたよ。紅イモにしてもこの時代は贅沢品です。何せ凶作続きの琉球末期なのですから。
夜空の流星がひゅっと彼方で落ちてゆくようにして日はめくりゆくめくりゆく。嗚呼、気が付けばギルーはたくましく成長し五歳児になっていましたよ。本日も陽が上がる前から起床して朝飯の支度をしているおっかさんのお手伝いです。今朝は冷たい秋闇の霜が降りてきては幾分冷え込んでおりましてね、真夏のように紅イモを生で食べるなんてことなどもったいない。ですから残り少ない手前味噌で汁ものをほおばりましたよ。
しみるねぇ美味しいねぇ。
どうだい? おっかさん。きょうもおいらの火おこしは完ぺきだったろ?
なにをいうんだい、ギルーよ。おまえはまだまだ半人前にもなっちゃいねえよ。ほうら、この辺がまだ生だろう? もうすこしカマ吹きを鍛えなきゃなんねえ。どうだい? 今朝も煙が目にしみたかい?
うん、おっかさん。でも、おいらまけねえよっ!
んだんだ。毎日毎日負けちゃなんねえぞ。いいか? ギルーよ。今のご時世、負けた時は死ぬ時だ。村のみんな生きるか死ぬかの自分だけ面倒見るだけで精いっぱい。ここには助けなんぞ来ないぞ。もしおっかさんが倒れてみろ! ギルー、お前は一人で生きて行けるか?
ううん。
そうだろう、そうだろう。だからな、ギルー。おっかさんの手伝いを一生懸命頑張るんだぞい。
うんっ!
よしよし、いい子だ。ほうれ、田舎汁がもう少し残っている。全部平らげな。
うんっ!
毎日まいにち井戸から畑への水運びと肥やしになるぽっとん便所の人糞はこび。ギルーの肩は五歳児にして大きなたんこぶができていました。てっぺんの方は血の塊で真っ黒になっています。ときどき火山噴火のように草臥れた鮮血がぴゅっぴゅっと噴出しましたよ。かわいそうにかわいそうに。
「おっかあ! 肥やしまいたぞ! 次は何する?」
「ああ、ありがとうよ。それじゃあ一緒に畑を耕してくれるかい? 鍬なら――」
「いつもの場所だろ? ほら、あそこの木の下の」
「んだんだ」
このあたりは周囲がガジュマルの密林で覆われておりましてね。むかしむかし、おとうとおっかあが水牛を使って畑を開拓した場所でありました。今となっては水牛はおっかさんの筋肉になってしまいましたがね。いや、それすらも太陽と風と塩害でほとほと削げ落ちておるのですが、まあなんとも餓死者が多数出た時代でありましたのでね、仕方がないといえばそこまででしたよ。そんな可哀そうなおっかさんの姿を見ていると、ギルーは何だか自分だけまともに肉付がいいことを叱責したくなりました。あのころからギルーはとても優しい子でしてね、親孝行は当たり前にするものだと教わらなくとも学んでいたのです。
畑の端にあるガジュマルの木陰で食する昼飯は生の紅イモですよ。ふかしイモよりも歯ごたえがあるし水の節約にもなる。薪をかき集めるのも大変であるし何よりも凶作ですからねぇ。本当ならばネズミでも食したいくらいですが、人村に餌が無いことを知ったのかここ何年ばかりか見かけた事すらなかったのです。ヤンバルクイナも赤マター(無毒のヘビ)もマングースの餌になっておりましてね、やれネズミ科天下の琉球時代になってしまいましたよ。
「おかー! 昼飯食ったら寝といていいよ! 俺がやる!」
「おやおや、それは頼りになる言葉だねぇ。だけどもギルーよ。おまえはまだまだお子ちゃまの青二才だでおっかさんは御ねんねする暇なんてないだよ。そんなご時世ではないんだよ。やれやれ困った時代に生まれて来たもんださ。いいかい、ギルー。明日の力は残しておけ。おまえには明日もあるかもわかんねえんだからよぅ」
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