小説 愛するということ 35

連載小説
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正樹は疲れた足をゆっくりと動かし、今度こそはとばかりにこの場を後にしようとした。

「正樹君――」

家主の声に正樹は足を止めて振り返った。

「正樹君……。実はね。実は、弟が東京で小さな会社をやっているんだが、さっき話してた通り、君が中学を卒業後、本土へ就職すると言う事で、もし、それで当てが見つからなかった場合なんだけどね。もう一度ここへ相談に来ると良い。今は君の問題が大きすぎて無理だが、その時はおじさんがその会社へ正樹君を紹介するよ。おじさんも最初の頃、弟の旗揚げの手助けとして其処で働いていた事があるんだけどね。仕事は少々きついが、面倒見の良い人間ばかりが揃ってる。だから大丈夫、何も心配する事は無い」

「分かりました。それじゃ、その時はまた相談に来ます。ありがとうございました」

「うん、それじゃ気をつけてな。とにかく頑張れよ」

「はい」

正樹は話を断られた時、近くに住んでいる従姉弟の家にも寄ろうと決めていた。外はまだ明るいが、時刻は十八時を回っていた。後二時間もすれば、この沖縄の長い昼も終わり、完全に夜を迎える。もう時間がない。彼は動揺を隠しつつ急いだ。

先ほどもそうだったが、夕方に突然相談に行けば、やはり脱走した事に薄々気付かれるだろう。また、正樹が最後に会ったのは五才の時だ。向こうは自分を覚えていないかもしれない。お互いに大分成長し昔とは違う。戸惑いの色は当然何時までも隠せない。しかし、もう当てに出来る存在は他にはなかった。

彼は迷う事無く従姉弟の居た家の門をくぐり玄関のチャイムを鳴らした。しかし、出てきたのは、従姉弟とは全く関係のない見知らぬ大人の女性。

「え? 前に住んでた村山さんの家族なら、六年前に入れ替わりで引っ越したわよ」

「そうだったんですか。あの、何処に越したか分かりますか?」

「さあ。そう言えば、何処へ引っ越すかまでは訊いてなかったわね。あの旦那さんと奥さん、人見知りに余り話しをしたくない様な感じだったし、余計に深くは会話しなかったからねえ」

正樹の知らぬ間に従姉弟はどこか遠くへと引っ越していたらしい。従姉弟のおじさんとおばさんはとても明るく人見知りなどしない性格だった記憶がかすかにある。正樹は話の中から、何か都合の悪い事が一家に起きた事を察した。そして、自分が失った時の空白を酷く痛感した。正樹が施設に入っている間、外の世界はあたかも一変したかの様に知らぬ間にも随分と時が進んでいる。もはや全ての希望を失った時、外はいよいよ暗くなった。

正樹は仕方なく飛行場跡地へ歩いた。向こうなら隠れて眠るには絶好の場所だと思ったからだ。彼は、街灯がポツリポツリとある川沿いの道から其処へと向かった。途中、小さい頃に従姉弟とよく遊びに来た川岸を通った。こちらより低い場所にある川の上に架けられた木製の電柱二本で成る簡単な橋は、この時もまだ現役で残っていた。ちょうど近くにある街灯が、この変わらない風景に幻想的な光を灯している。正樹は、此処だけ時が止まったかの様に、昔と今が何一つ変化しない景色に対して、なんだかとても嬉しくなった。

一時間ほど歩いて、ようやく正樹は目的の場所に着いた。飛行場跡地だ。此処もまた昔とほとんど変わっていなかった。正樹は安堵した。

彼は真っ先に兄弟四人で寝そべった場所へ行った。着いた時、棒の様になった足を癒すべく、大分伸びた薄の茂みへと思い切り飛びつく様にして横になった。途端、母から逃げたあの時と同じ様に、空腹から来る衰弱と共に軽い目眩がして来た。が、しかし、正樹は一円も持っていない。そこで彼は、とりあえず水で空腹感を紛らわせようと、昔よりは遊具が揃い大分マシになっていた近くの公園へと向かい、そこでありったけ水を飲む事にした。勿論、空腹から来るこの目眩は、それだけでは当然拭えなかった。正樹は先ほどの場所へ戻るのも億劫となり、仕方無しにそこら辺の芝の上で横になった。彼はそのまま深い眠りに入り早朝を迎えた。

正樹は目を覚ました瞬間から昨日よりも酷い空腹感に襲われた。もはや立つ事も歩く事も困難な状態となっている。しかし、彼は、連続に襲い掛かる立ち眩みを我慢し、少し朦朧とした意識の中で、目的もなく、只、何処かへと歩きだした。朝の光が先ほどよりも明るくなってゆく。と同時に、暑さが肌を照りつけては、汗がシャツを濡らし始めた。彼の目眩は更に酷くなってきた。

気が付くと、懐かしの店の前に正樹は辿り着いていた。上間商店だ。正樹は店の中へ入ってみた。冷房装置により、中はとても快適。

「いらっしゃい」

店主の親父が昔と変わらず無愛想に発した声は、年月により角が削れた様にどこか優しく聞えた。正樹は買い物をしに来た訳ではなかった。その為、どの商品棚へ行けば良いか分からず、一瞬、頭の中が空っぽになったように真っ白になった。彼はたまらず、おどおどとした様子を見せてしまった。

「今日は一人かね? いや、当然一人だろう。そうだね?」

見かねた様に店主が口を開いた。店主は、昔、警察官らと謝罪の訪問にて一度しか会った事の無い正樹の事を何故か覚えていた。正樹が何か言葉を返そうとしたその時、店主は読んでいた新聞を落ち着いた様子で綺麗に折りたたみ、それをレジ台側へときちんと置いてから彼を見つめて再び口を開いた。

「君の弟と友達は本当に残念だった。でも気を落としてばかりじゃいけないよ」

「どうしてそれを知ってるんですか?」

正樹は驚きながら思わずそう口にした。

「つい最近来た本当に久しぶりに会うある恩師から話を聞いてね。その方から色々と知らされて居たんだ。君が近くここに来る事もね」

正樹は店主の言葉に唖然とした。恩師? 一体誰のことだろう。また、何故にその人物はこの人の所へ話をしに来たのだろうか? 彼がそう思った時。店主が言った。

「何でおじさんにって、思ってるんだろ?」

店主は座ったまま両肘を台において拳を組んだ。

「その前に、何故、その方は君が近くここに来る事をまるで予言する様に知っていたのか? おじさんの人生にもこれまで不思議な事は沢山あった。子供の頃、山遊びしてる時に、誤って崖上から物凄いスピードで滑り落ちた事があってね。その時、“助けて”と心で叫んでから頭が真っ白になった後、ふと気が付けば崖に生えた一本の木の上に自分は立ってた」

店主はそこまで話してから立ち上がり、正樹の側にある様々な種類のパンを陳列した棚へゼスチャーを含めながら歩き始めた。

「高校生の時には全然相手にもされなかった好きな子にね、いきなり逆に告白された。あ

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