連載小説 この世の果てにおいて(愛するということ2) 最終章

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滝川寛之の無料連載小説

 

沖縄への前日、寛之の呼びつけでパクは墨田まできていた。来なければ電話で伝えるつもり。そう話してのこと。彼は今日から帰省のための休暇を貰っていて朝から会うことが可能。パクとは彼女の帰宅も考慮して明るいうちに済ませておきたい。昼下がりが絶好だと思った。少々小雨がぱらついているのは想定外。昨夜は降る気配などなかったから。パクが降りる最寄りの駅前で待ち合わせだということは幸いだったと思う。

昼食は一緒に済ませる話になっていて、二人とも腹を減らしていた。なににする? パクが訊くと、寛之はどうせなら洒落たカフェにしようと提案した。今日が最後になる。そう考えての事。良い別れ方は出来ないが、思い出として今日が残る。その記憶の片隅に少しでも良きことが重なれば、この別れの記念日も二人にとっていつかは歯切れの良い物となるだろう。パクの表情がいつもに増して緩む。

「オー! ヒロ。きょうはリードしてくれてる? めずらしい! おとこらしいね!」

そんなことないさ。返す言葉がそれ。

「でもあれね? どこのみせするかはわたしのはんだんね! やっぱりだめねぇ?」

うるさい。言いかけて止める。パクはジョークでも痛い返しをする。

「オー! ピザハウスでもいい? きらくがいちばんね!」

オーケー。そうしよう。なら、ドミノピザだな?

「てんないだからシェーキーズにするね! ランチバイキングすてきね!」

オーケーオーケー。それならそうしよう。

「でもとおいねー。いちばんちかくしんじょくよ! オーマイガー。ヒロからあいにくるよかったね。もうドミノでいいね!」

オーケイ。結局はリードされていることに気が付く。

東向島のドミノピザまでは徒歩で十五分ばかり。東京で言えば、なんてことはない距離。この都会では三十分歩くことも多いから。自転車がもてはやされるのは、そうした理由もあるけれど、いかんせん乗り捨ての盗難が多いと職場から聞いたことがある。でなくとも寮から最寄りの駅はとても近い。自転車に用があるとすればスーパーなどへ買い物の時だけ。あとは必要もない。

「やっぱりここはいちばんボリーミーね! ああ、マイラブ! すてきよ!」

店内はこじんまりとしていて席は三つほどしかない。平日の昼過ぎなので空いていたのはラッキーだと思う。他に座って食事をしている客の姿は皆無。やはり持ち帰り専門みたいなところがあるものな、自分だってわざわざ来ないし。食べながら思う。

何だかすっかりパクのペースにはまっていて、今日、自分は離別を口にするのだということを忘れかけてしまう節がある。そのたびに昨夜を思い出し、やはり今日が最後なんだなと思い老け込む。パクだっていい女であって悪いパートナーというわけではない。こんな美人中々いないぞ? 教会へ一緒に行っていた仕事仲間の人がいう言葉には説得力があり納得してきた。性格も素晴らしく、引っ張ってくれる女ということに関して安心感さえ覚える始末だった。そんな最高の女性と今日で自ら終わりにする。だからこそ、尚更、佳子を今後、最大限に愛し通そうと決めている。それがパクへの、せめてもの報い。無駄にすることなんかできない。

「オー! ヒロ? たのしくない? つかれてるの?」

しまった。まただ。佳子ともパクともいずれにせよ暗い表情となり悟られる。いつもいつも、いちいち誤魔化すのが面倒になる。

店までは相合傘ではなかった。パクも用意していたから。彼女のパンプスは青色の濃いデニムで低めのヒール。靴は滅多にはかない人、それは分かっている。小雨と言っても雨なのだからシューズにしたらよかったのに。訊くと、それはセクシーじゃないね! と一言でまとめる。パクはパクなりのポリシー。

「ねえ、ヒロ。きょうはあなたのへやいくね。いいでしょう?」

それはまずい、即答すると

「ああ、そうね。あしたはねだだから、やっぱりはやくかえるね」

明日はないんだよ。思うけれども言葉が出ない。

「おきなわホテルついたら、すぐプールいくね! オーケー?」

乗り気じゃないと言ったら? 訊けるわけがない。

「プールサイドバーでブルーハワイのむね」

何故だか無性にイライラが募ってしょうがない。どうして?

「そのあとはメイクラブよ」

嗚呼、だから明日はないんだよ。俺たちは今日で別れるんだ。イライラの原因はそれ。

「そろそろ帰ろう。話がある」

「ここでいえばいいね、なに? ヒロ」

「いや、駅前へ着くまでには話すことだから」

パクが困惑した表情に切り替わる。

「オー! ここじゃまずいの?」

「そういうことになる」

きっぱり言い切ったつもり。パクは何かを察した様子。何だかこわばった冷めた表情になっているのが分かる。彼女は僅かに震えた声で訊いてきた。

「わるいはなしね……」

それについては、今、答えられない。口をつぐむ。

「オーケー。みせをでるね。あまったぶんはテイクアウトしてヒロがたべるね」

店からの帰り。大通りとは言えない道を南下する。秋口なので、あたりの気温が丁度良く、歩いていて気持ちがいい。天気はすっかり晴れていた。二人は傘をぶら下げながら、木枯らし前の銀杏通りで靴音を鳴らす。

「なあ、パク」

寛之の表情は哀愁に満ちている。これまでのことを考えていたから。彼は思った。もしこのまま終わらなかったとしたら、明日からどうなっているだろう? 分かり切っている事。そのときは佳子との破局が待っている。もしくは彼女をもっと傷つけることになる。それは無理だ。絶対に許されない。だからといってパクと別れるのも矛盾に満ちている。どうにもならない選択。いずれにしても誰か一人は絶望の淵に追いやられる。その後どうなる? 精神的病か? わからない。

「ヒロ、さよならね……」

寛之はパクを見やることなく言った。

「どうして分かる?」

「わたしたちはひとつね。あなたのなにもかもわたしはおみとおしよ」

「ずっと前から好きな人がいる」

「そう……。こきょうのこね?」

「ああ、そうだ」

一瞬、無音に満ち溢れた。時間が止まったような錯覚さえ覚える。

「今日で終わりにしよう。明日の沖縄は無しだ」

「そうね……」

駅前に着く。寛之がパクを見やると、彼女は赤色のハンカチで涙をぬぐっていた。これ以上は何も言わないほうが良い。そう考える。彼女も理解できることだろう。そう思った。寛之はひとつ頬に口づけをする。

「さよなら、パク。お元気で」

パクがいちど深呼吸と共に鼻を啜るしぐさをしてから微笑んだ。それからかすれた涙声で返す。その言葉の色彩はとても淡く透明に感じた。

「ええ、あなたこそ」

彼女が続けて言う。

「ほんとうのさよならはなしね。あなたがもどってくるかもしれないから」

それは無いと言い切れる。返そうとしたが、やめておいた。

「オー、ヒロ。わたしはあなたのことあいしてます」

「分かってる」

「あなたはずるいひとね、ほんとうにずるいひとよ」

寛之はパクが立ち去るまで見送るつもり。彼女はまだその場から動こうとしない。何かを話そうとしている。言おうとしている。そうではなくともパクの表情はくしゃくしゃに崩れてしまって今にも泣き崩れてしまいそうにみえた。

 

次の瞬間――。

 

パクがバッグから小型のハンマーを取り出すのが見えた。

彼女はそのままありったけ襲い掛かるようにして、そのハンマーで寛之の頭を思い切りよくかち割る。彼は何のことだか全く思考が巡らない。それほどにあっけなくもあっという間。唯々、真っ白で仮想現実のような二次元の光景を擬視したまま、寛之は前方から倒れ込んだ。

 

「もうおわりね――!」

 

その言葉がかすかに聞こえては、エコー含みにして遠くへ消えてゆく。未だに何がどうなったのか整理もつかない。思考が巡らない。寛之は人だかりの輪の中で、無情にも痙攣をした殺処分の小鳥のようにして、遺言の託もなく息を引き取った。彼の人生は終わった。

 

寛之は自分の死体を上空から眺めていた。なにやらへその緒から繋がれていた、縄のようなへその緒なのか、死体と繋がっていたが、つい先ほど音もなくちぎれては存在をなくすようにして消えてしまった。

お、おれは……? 未だに信じられない出来事。一部始終を振り返ってみる。とたんに頭が重たくなった。思わず頭をさする。死体からは血しぶきを上げて一部陥没しているいるが、どうやらこのもう一つの身体に異常は見当たらないことが分かる。どういうことだろう? ますますわけがわからない。

寛之は何故が秋頃のやや冷たくなりうる微風に唯々流されていく様子に、何故か違和感を覚えなかった。もはや何も考えられない。自分が死んだことすら判断に苦しむほど。西へ西へ浮いた身体が動かされてゆく。漂ってゆく。

浅草、日本橋、銀座を過ぎて東京タワー。渋谷駅をまたいだ辺りでハッとする。そうか、ここは……。

辿り着いた場所は三軒茶屋駅前。そこからは徒歩のようにして、ゆっくりと佳子の住む昭和女子大近郊の女子寮へと、地に足をつけない浮いたままの状態で向かう。

そういえば彼女はバイトをしていると話していた。この近くなのだろうか? ふと思いを巡らせる。居なければまぬけだ。考えてみてもしょうがないこと。己の意思で動いているわけではないから。

考えてみれば、佳子の部屋番号も知らない。寮へ足を運んだことが無いから。只、以前に親友だと話していた沙希とのツーショット写真を確認しただけの話し。三軒茶屋までは送ったことがある。平日の密会とはいえ、その日はまだ明るかった。さぼりで休んだ日だった。佳子が泊まりで部屋に居たから。

ほんとうなら寮まで送るべきだったけれど、いかんせん女子寮なものだから男子禁制で厳しく、中へは入れないからと彼女が申し訳なく断りを入れてきた。行ったところで無駄だからと。ならば場所くらいは教えておいてくれ。言ったけれども、それはまた今度。と彼女が嫌がった。その理由までは分からない。ただ単に、でないと疲れさせるだけだからと、佳子は気を使っただけの話しなのだろう。あの日はそう考えて何も返さなかった。

女子寮の玄関へ着くと、入り口の横に管理人室があって、せいぜい五十代あたりの銀縁メガネな禿げ頭の男性がテレビを見ながら座っているのが確認できた。

玄関ドアは自動ドアで、開けばチャイムが鳴る仕組みだとわかる。寛之はそいつをくくりぬけるわけでもなく、すっとすり抜けた感覚で中へ入った。管理人は気が付いていない様子。やはり自分が見えてないのだな。おもう。

広い内階段から三階へ自然と滑り上る。部屋番号は308号室で身体が突然止まった。そうか、ここなのか……。考える間もなく中へ導かれる。時刻は夕方を過ぎていた。

「ねえ、佳子ちゃん。今日はバイト休みじゃない? どっか行こうよ」

佳子がほほ笑む。

「でも疲れてるし。今夜はゆっくりしたいかな」

佳子――! 寛之は思わず声を上げた。が、しかし彼女へは届いていない。そのまま女子二人の会話が続いていく。彼は入った場所から立ち尽くしたまま、その光景を眺めた。

「――いつも彼とのデートの時は元気いい癖に! わたしとはいつも日曜日なのね?」

「そんなに頬っぺたふくらませないで。悪いと思ってるの」

「わたしのこと? 彼の事?」

「りょう、ほ、う♪」

「なるほどね。オーケーオーケー。それじゃあ夕食取りに行きましょ!」

二人が部屋の入口に立つ寛之の身体をすり抜けてそのまま出て行った。やはり己の今は霊体なのだということにようやく納得がいく。それじゃあ、どうすればいい? 答えが見つからない。二人の後を付いて行く。

「今日は牡蠣フライ定食だね。私大好きなのよ!」

「へぇ。そうなんだ。あ! そういえば日本そば屋のときによく注文してる」

「そうそう! そば屋のかつ丼も好きだけど、定食系も秘かに目玉なのよね」

「確かに美味しいわよね」

日本そば屋か、久しく行ってないな。寛之は思う。パクがさっぱり系をあまり好きではなかったから、わざわざ避けていた節がある。佳子とのデートでは滅多に食事へは行かなかった。彼女が寮の食事をとり終えてから来ていたから。自分だってそう、寮の食事が用意されている。

「シジミの味噌汁も美味しいね!」

「あー! 結構、身が入ってる! うれしい!」

楽しそうだな、よかった。寛之はほほえむ。無論、二人が気づくわけもない。

「そういえば佳子、最近の体調は大丈夫なの?」

「うん、大丈夫」

「精神的には用心しなきゃね」

「分かってる」

「オーケーオーケー」

そのときだった。突然、佳子が吐き気を催した。片手で唇をふさいでいる。佳子! 大丈夫? うん……。ちょっとトイレ行ってくるね。わたしも一緒に行こうか? ううん、大丈夫。収まってるから、口濯ぎに行くだけ。オーケー、わかった。わたし、もう部屋に戻るね。そう……。じゃあ、これそのまま置いておいて。わたしが片づけるから。わかった、ありがとう。いえいえ。

寛之は思う。なれない東京だから胃をやられているのだな。ましてや俺のことで沢山苦しんでる。本当に申し訳ない。しかし、この身体ではもう何一つしてあげられない。彼女に触れることすら叶うのかどうかもわからない。彼も胃に穴が開いたような錯覚に陥る。ほんとうに何てことなんだ……。

佳子が一階の共同トイレから出て三階の部屋へ戻る。寛之は当然、そのあとをついていった。中へ入りドアを閉めたあたりで、佳子が突然つぶやく。

「寛之さん……」

彼女が振り返って寛之を見た。

「寛之さん、どうしてここにいるの?」

寛之は眼を見開く。見えていたのか――? まだ口を開かない。

「これは本当の姿じゃないわ。そう……、とっても恐ろしいもの。そうなのでしょう?」

寛之は己の手のひらをへその位置で見やる。ああ、やはり自分は霊体なのだな……。

「わたし、ずっとさっきから気が付いてたの。寛之さんが最初に来た時から」

そうか、分かっていたのか……。おもう。口を開いた。

「げんきそうで、よかった」

「昨日会ったばかりよ? ねえ、寛之さん。どうしてなの?」

「俺にもよく分からないんだ……。本当にあっという間の出来事だった」

佳子が涙ぐむ。その表情を見て、自分の終了が悟れた。悔しくなる。やりきれない気持ち。それから辛い想い。これからどこへ向かってしまうのか? 答えが出た気がした。

寛之はこれからあの世へ旅立つ。神はその情けとして、最後に佳子のもとへ霊体を運んだ。それ以上のことは望めない。分かっている。

「わたし、妊娠したの」

そうか……。その為の導きだったのか。考える。

佳子はこの先どうなるのだろうか? 育て親が一人欠けた家庭で育った寛之にとって、彼女の未来が暗く感じた。母親は相当苦労して自分を育てた。何故に佳子まで同じことになるのだ? 運命だと? ふざけるな。彼は悔しくなり、ひとつ小声ながら怒りに任せて自責を吐いた。

「妊娠検査薬で陽性だったの。病院へはまだ。寛之さんへ伝えて二人で行くつもりだった。それが来週の予定。たぶん妊娠二か月くらいだと思う」

「俺は本当に馬鹿な奴だ。情けなくなる」

「そんなこといわないで。寛之さん、今日何があったの?」

佳子が寛之に触れようと手を伸ばす。しかしすり抜けてしまった。

「ハンマーでやられたんだ。パクのやつに。本当に突然で、いきなりだった」

「そう……。別れの話をしたの? そういうことでしょう?」

寛之は天を仰いだ。消沈したようにして言う。

「ああ」

佳子が自身の顔面を両手でふさいだ。

「嗚呼――!」

号泣する彼女に触れることができない自分がやりきれない気持ちで満たされた。

「もう! どうしてこうなるの? ねえ? どうして? こんなのわたしが望んでたことじゃない! ねえ? 寛之さん。わたしたちには子供が出来たの! それなのに、どうして寛之さんが死ななきゃならないの? どうして――!」

「佳子、ほんとうにすまない。どうすることもできなかった」

「嗚呼――!」

とうとう佳子が床へ泣き崩れる。寛之にはどうしようもできない。だからこそ余計に辛くなる。彼は気が狂いそうな哀愁の中において、一生懸命に言葉を探した。それが最期にできる佳子への優しさ。想い。

「佳子、俺たちは本当の意味で一つになったんだ。これから一つの命が生まれる。俺と佳子が一つになって出来た子供なんだよ。そうだろ?」

佳子が両手を解いて表情をのぞかせる。そして寛之を見やり下へ何度も頷いた。

「ええ……。何だかとっても素敵」

そのときだった。寛之は自身に異変を感じる。なにやら光りを発しながらモザイク調に砕けてゆくような、そんな感覚が全身を支配し始めた。彼は悟る。そうか……。

「時間が来たようだ」

迎えが来ている。佳子にはその事がすぐに理解できた。涙が止まらない。二人は今日で本当に最後。だからこそ悲しくなる。やがて彼女が見ている目の前で、寛之の全てが今、正に消えようとしていた。彼女はありったけの声で号泣しながら叫んだ。

 

「寛之さん! そんなのいやぁ――!」

 

寛之は様々な幻影を見た。これまでの人生の節目節目が、写真に収めたようにして蘇りを見せつけている。一つ一つを長い時間、確認しているかのようにして刻が過ぎゆく。辺りはまるで漆黒の闇夜。星もなければ月もなく、街灯すら皆無。光りといえば幻影が灯した明るさだけ。やがて寛之はこの世の果てを歩いた。漂うようにして、さ迷うようにして、唯々歩き続ける。

突然、足元に泥濘のような感触を覚えた。間違いない、ここは沼地である。容易と悟れた。なんだか生理用品のような腐敗臭が鼻を刺す。気のせいではない。これは紛れもなく腐った血の匂い。気が付くと、寛之は何だか寒気を感じたようにして鳥肌を立てた。実際、この暗闇における世界は酷く寒い。温まる光りが一切無いからだろう。そう思った。

自分は何故にここを歩いてきたのだろうか? 無意識にも行動をとっていた。沼地にはまってから矛盾に気が付く。どうしてだろう? 希望を持っていたのだろうか? 僅かながらに生き返る術を探すべく。

足元から恐ろしく怨念に満ちた屍たちの誘いを感じる。一生懸命に沼の中へ引きずり込もうと、多数の血みどろなる腕が足全体へ絡みついて離れない。寛之は思わず叫ぶ。

「だ、だれか! たすけてくれ――!」

次の瞬間。

「本当にそうなのかね?」

とつぜん老人の声が届いた。だれだ? そんなことは関係ない。彼は懸命にありったけの力で屍を払いのけようと必死にもがく。駄目だ、手に負えない。寛之は絶句した。

「だれか! お願いだ! ここから、ここから出してくれっ!」

声のする主へ大声で叫び訴える。老人の声は言う。

「そうかね? しかし君はもう助からない。永遠に血みどろの屍となるのだよ、寛之君」

「そうなるわけにはいかないんだ! おねがいだ! たすけてくれ!」

腰辺りまで血みどろの沼へ引きずり込まれている。もはや万事は休した。

「嗚呼……」

寛之は、この、あの世ともいえる世界において、狂った状態のまま気を失いかけた。まるで現実のような幻の世界。幻のような実在する空間。訳が分からなくなる。もはや奇声を発するところまで精神は追い詰められた。

「寛之や……。やれ、寛之や……」

懐かしい声が聞こえる。このフレーズは? 確かにそう、はるか昔観た青の世界における住人の声。途端に、屍の眠る血みどろの沼地が足元から消えたかに思えた。気のせいではない。確かに今、世界は全て青色に染まっている。全く何もない世界。唯々青だけの空間。

「寛之や、ようやくだな」

男の声は温い。自分は助かったのか? かんがえる。

「な、何がですか?」

声は確かに優しさで満ち溢れていた。その以前との違いに関して、寛之は何やら違和感を覚える。姿を見せない男性は言う。

「ようやく一つになったんだ、寛之や……」

それはつまり佳子との話なのだろうか? 思い当たる節はそれしかない。声の主は全てを察し、心の声までも届いたかのようにして発する。

「そうだ、おまえはようやく一つになったんだ」

寛之は思う。しかし自分は死んでしまったんだ。そして今ここにいる。

「愛はすべてを報いる。寛之や、息子が誘っているぞ?」

どういうことだろう? 息子とは? まさか……。

「お、男の子なんですか?」

見えない男性は返す。

「そうだ」

寛之は感極まり涙を溢れさせ、大海が流れるようにしてありったけ零した。涙声を発しながら泣き崩れる。男の姿が現れた。その彼が寛之の肩に手を置く。男性は言う。

「寛之、目を閉じてみろ。そして願うんだ。意識を集中してみろ。彼女への想いを私に見せつけて上空を舞うんだ」

男性を見上げた寛之は訊く。

「あなたは、あなたは一体誰なのですか?」

男性はありったけ満面の笑みを浮かべて言った。

「お前の父親だよ」

寛之は目を見開き言葉が出ない。涙が止まった瞬間。

「目をつむって念じてみろ。寛之。さあ! 舞って行け! ゆくんだ!」

「お……、とう……、さん……」

寛之は目をつむり、一心に瞑想する。束の間なる父親との再会。生まれて初めて会ったと言っても過言ではない。記憶に残らない以前の思い出だったから。彼が姿を現してすぐ指示したとおりに、募る会話を交わすことなく今、瞳を閉じている。正直何を言ったらいいのか分からなかったといえばそこまで。突然のことで思考が巡らなかった。但し、分かることがある。それは紛れもなく男性は確かにお父さんだということ。証拠も何もない。しかし悟れる。言葉の力にうそが見当たらなかったから。信じるほかない。違う、信じ切れるほどの瞳の輝きがあった。

瞑想に重く入り込んでいる最中、辺りは無音に満ちたかに思えた。もう父親は傍に居ないのだろうか? 肩にもどこにも彼の感触は無くなっている。しかし、もう涙は出てこない。寛之は既に未来だけを見つめている。新しい朝、新しい光、新しい導き。父親は寛之と佳子の息子が現世へ誘っていると言っていたが、それは確かにそうだろう。そうおもう。他に理由と術が無いように感じるから。

誘われた世界に一つ、ドーナツ状の円形が浮かび上がった。無意識と中心を見続けているうちに、その中央が辺りへ一気に広がりを見せて、まるで星空のように眩い光の粒たちが唯々きらきらと舞っているのが見えた。寛之はいま、新しい世界にいる。

 

佳子は大学を通いながら赤ちゃんの世話をしていた。寮部屋は相変わらず狭く、母親と二人。もうひとり、勉(つとむ)。息子の名前。在学中にということで、記憶と記念に残るからと母親からの提案。ほんとうは寛之と相談して決めたかったけども仕方ない。佳子は両親には逆らえないし、感謝しきり。母は妊娠八か月あたりから一緒にいる。沙希は別部屋へ移動して、親子二人で寮生活となった。本当は休学して地元へ帰りたいけれど、結局は一年ばかり空けても戻ってきては同じことになるからと、母親と大学側で取り計らってくれた。ありがたいとおもう。寮の食事は母親の分まで用意されていた。母は卒業まで共に寮生活を送る。あと三年。父親は自分は一人で大丈夫だから構わないと言っていた。これまで二度ばかり来ていた時の話し。一回目は母親と、二回目は出産直後。その後からは月一で会いに来ると彼は話していて、叶わないようなら六週間に一回は様子を確認しに来れるようにすると話していた。

「お母さん。授乳終えたから、わたしも勉と一緒にちょっと眠るね」

「学業との両立は大変よね、なるべく沢山休むといいわ。あとはまかせてね」

「うん、ありがとう」

佳子は睡眠不足などで精魂疲れ果てているためか、直ぐに深い眠りへと着けた。その先に見えた夢の中の夢の世界。そこは、いつしか観た青のあの場所とは異なっている。

ふと気が付くと、誰かと手をつないで、白い砂浜にて感触を確かめるように裸足で歩いている事が分かった。繋がれた先の顔を見やる。寛之――。

「佳子」

「寛之さん! どうしてここに?」

寛之は微笑む。

「救われたんだよ、息子たちにね」

陽光の眩しい夏空。水平線の彼方に飛行機雲が線を長くして浮かんでいる。千切れ雲など一切ない日本晴れ。手前にみえる砂の駆け上がりで小魚が一つ跳ねた。海鳥がそれを追いかけている。防風林が一つ風にそよいで自然音を聴かせた。緑青に満ちた色彩たる香りを漂わせて。

佳子は唯々、深くて甘い口づけを交わしたいほどに心がほてりついた。壮大な景観の世界において二人はそのままキスを交わし一つに溶け合う。この場所には誰もいない。いま、寛之と彼女は砂浜を独占している。世界は濃くて透明に満ち溢れているかのように思えた。

彼は何度も愛おしさに満ちた声で佳子の耳元にささやく。

 

――君だけを愛している、と。

 

”あなたは運命の愛を頑なに信じれますか?”

おわり

 

当書籍は著作権で保護されています

転載転売を固く禁じます

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