連載小説 愛するということ 65

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に忘れたのよ。もう終わってしまったの……」

恵は横を向いて俯いた。智彦が彼女の右肩にそっと手を置いた。

「違う。それは違うよ」

「違ってなんかいないわ。私はこの目で見たの。正樹と女の人が……」

智彦はすぐに説得した。

「でもその後、正樹に君は会って話をしてないだろ? 君はただ誤解をして正樹に会わずに帰った。正樹とその女性は、結ばれた様でそうじゃなかったんだ。それにもう二人は別れたんだよ」

「別れた? だから何? 私はもう彼を許さない。そう決めたの。今更遅いわ」

恵は智彦を少し睨むようにしてから言った。

「本当は違うだろ? 君は今でもあいつの事が好きなはずだ」

恵は何も言えなくなった。

「昔も今も、正樹にとって必要なのはお前なんだよ! お願いだ。最後に一度だけでも良い。正樹の元に行ってあげてくれないか?」

恵は力なくまた俯いた。智彦が彼女の両肩に手をまわした。そして言った。

「正樹は今、この病院の三階にある集中治療室に居る」

「え?」

恵は思わず顔を上げて智彦を見た。

「あいつを此処に導いて、そして開放しくれ」

「導く? 私が?」

「そうだよ。それは君にしか出来ない。大丈夫、全ては報われるはずだ」

突然、恵の脳裏に姉の知子が最後に言ったあの場面が映し出された。それはまるで、恵の中にいる知子が見せたようにとても鮮明。

生きて、そしてね、幸せになるの。これから本当に死ぬほど辛い事があっても、そこに隠された答えの意味が分かるまで――。大丈夫、全ては報われるわ。

恵は急に悲しくなり涙を浮かべた。彼女は、もう終わりがすぐ其処まで来ている様な気がした。恵の唇は震えだした。

「もう時間だ。人が戻ってくる」

智彦は恵の肩から手を離した。恵は瞬時に智彦がこの場から消える事を察した。

「待って!」

咄嗟に恵は智彦を呼び止めた。恵は涙目に震えた声で訊いた。

「正樹は、正樹は死んじゃうの?」

「会いに行けば分かる」

智彦はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。途端、恵の見る目の前で彼の全身から光が出始めた。光は徐々に強くなり、しまいには周りの影がどんどんと消えていく――。

一瞬、これ以上無いストロボの様な明るい光が放たれた。と同時に、大きな光はあっという間に残像だけを残して恵の目の前から姿を消してしまった。

恵がその光から通常に目を戻した頃には、智彦の姿はもうこの場から忽然と消えていた。

そう言えば昔、奇妙な時間の中で母に会った時も、同じ様に大きな光が最後に放たれた。恐らく今起きたこの現象も、それと全く同じだろうと恵は唖然としながらも思った。

恵はほんのわずかだが目眩がした。その直後だった。マネージャーがドアをノックした。彼女はふらつきながらも鍵をあけた。

「どうしたんですか? なんか声が聞こえましたけど」

「私、行かなきゃ」

恵はそう呟いてマネージャーとすれ違った。

彼女は急に走りだした。今、恵は一つの事しか頭にはなかった。

「ちょ、ちょっと、レナさん!」

マネージャーの声など恵の耳には届かなかった。

恵は病室から飛び出し走った。周囲に気を配る事無く走った。今すぐ正樹の元へと彼女はただ思い切りに走った。遂に恵は辿り着いた。そして無理やりに近親者だと偽ってでも集中治療室の中へ入った。智彦の言うとおり、其処には確かに正樹が居た。しかし、悲しくもその日の夜、彼は死んだ。

 

愛すると言う事~第八章

 

香織が完全に居なくなってから、正樹は再び孤独な休日の繰り返しに戻っていた。

彼女と別れてから最初の日曜。この日、正樹は一日中何もする気が起きなかった。彼は今、部屋の壁にもたれて座り込んでいる。

正樹は向かい側の白壁の上辺を見た。石膏ボードの上にクロスが貼られたこの窮屈な部屋の白い壁には、香織から貰った少し可愛い掛け時計が下っている。彼女は二人の時間をこれから大切にしてほしいと、それを付き合って最初のころ彼に贈った。

正樹はその掛け時計をただ呆然と眺めては、香織の気持ちを踏み躙った自分に対して怒りとやるせなさを込上げた。恵の時と言い香織の時と言い、自分は何て勝手で愚かなのだろう。繰り返してしまった自分の浅ましさに、正樹は心底嫌気がさした。

香織と別れてから一か月ほど経過した。しかし正樹の心は、まだ香織と別れたあの日から時がさほど経過していなかった。

正樹は気晴らしに、職場の上司にあたる伊藤勝則からしつこいほどに「開放している」と話を聞いていた駅前のパチンコ店へと玉打ちに一人でふらふらと出かける事にした。

だらだらと歩いては、やがて店へ辿り着く。正樹は自動ドアの向こう側で待つ娯楽の世界へ躊躇する事無くスッと入った。

途端、耳が痛くなるほどにホール内へ響くけたたましい音が、正樹の耳をこれでもかと攻撃した。が、しかし、それが彼に纏わりつく自己嫌悪な空気を一瞬で何処かへと吹き飛ばしてくれそうな気がして、今の正樹には何だかちょうど良かった。

正樹は、台の隣に設置された機械で玉を購入してから、早速パチンコを打ち始めた。次々と発射されていく銀色で艶のある小さな球体の幾つかが、遂には入賞口へと流れ込んだ。中央に設置されたデジタル表示のドラムが、音楽と共に回転する。正樹はしばし時を忘れてそれを何回も繰り返した。

夕方をとうに過ぎ、やがては夜を大分迎えた頃、正樹は勝則と店内でばったり出くわした。打ち続けて気が付けば閉店前。いつの間にか二人は台を並んで打っていた。

「くっそー、やっぱり出ねえな」

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