連載小説 愛するということ 64

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ても悪かった。

入院してから二、三日ほどで疲労だけは回復した。しかし、念のために恵は一週間入院する羽目になった。病室には付添い人として山本レナの女性マネージャーが居る。恵は今や有名な芸能人で、個室であるこの特別病室からはどうしても出られない。そこで、何か買い物などあれば彼女がかわりに行った。

「三崎さん、すみませんけどお茶買ってきてくれませんか?」

喉が渇いたが、お茶を切らしてしまっている恵が言った。雑誌を読んでいたマネージャーが恵の声に反応した。

「あ、はい。ついでに何か良い雑誌とかもあれば、幾つか買ってきましょうか?」

「お願いします。いつもすみません」

「いえいえ、これもマネージャーの仕事ですから。それじゃ行ってきますね」

マネージャーが病院内にある売店へと出かけた直後、恵はベッドから起きて第三者が入って来ないようドアの鍵を閉めてから、退屈しのぎに窓の外に見える無機質で空気の悪そうな景色を眺めた。

目覚めの良かった朝だというのに、十時を迎えようとしている上空には多忙なる灰色のガスが霧のように立ち込めていて、それを吐き出している地上一帯は建物がとても窮屈に犇めき合っている。恵はそれを見ただけで瞬時に吐き気を覚えた。この大都会で疲労に倒れた恵の体は、この決して美しいとは言えない光景に素直に反応してしまったようだった。

悪い酔いをごまかすように、恵はずっと遠くに目をやった。そして憂鬱に、いつまで自分はこんな世界に居るのだろうか? と脱力感に似た感情で恵は思った。

恵の口から溜息がこぼれた。と同時に、これまで仕事でごまかしていた切なさがどっと押し寄せてきた。

――嗚呼、こんなはずではなかったのに。

恵は思わず恋しい声で「正樹……」と小さく呟いてしまった。

少しして、恵はふと窓ガラスに映った影を見た。男性の姿がうっすらと窓ガラスに反射している事に彼女は気付いた。恵は瞬間的な緊張と共にハッとして入口の方へと思い切りに振り返った。

――誰?

恵は硬直し驚いた顔をした。目の前には見るからに年上だと分かる男が立っている。男はただ優しそうに微笑むだけで何も言葉を発してこない。

恵は一瞬考えた。

確かにマネージャーが病室を出た後、人が入ってくる物音などは一切聞えなかった。もしかして自分のファンか誰かが隙を見て静かに入ってきたのか? いや、違う。そうならない為に、先ほど自分が横開きのドアの鍵を閉めたではないか。それじゃ、この人は一体――恵は少し混乱した。

「あなたは、あなたは誰なの?」

恵は表情を更に固くして訊いた。

「智彦だよ。向こうの世界のね」

男は微笑んだ顔で言った。

「え?」

恵は思わず目を見開いておどろいた。確かに言われてみれば、智彦の面影がなんとなく見え隠れしている。しかし、当然、恵は今すぐに信じることなど出来なかった。

「驚いた?」

「本当に、貴方は本当に智彦なの?」

「ああ、そうだよ」

男は先ほどと同じく笑顔のままそう言った。

「嘘よ! 智彦はずっと昔に死んだわ! え? ちょっと待って、違う。向こうの世界?  もしかして、貴方はもう一つの世界から来た智彦だって言うの?」

恵は気が動転しながらも思考を巡らせそう訊いた。男は恵を納得させようと言葉を返した。

「此処の僕は裕美と言う女性と付き合ってた。そして君と正樹がまだ付き合う前、君は僕に正樹のことについて訊いて来た。勿論、誰にも内緒でね。これで信じてもらえるかな?」

咄嗟に恵は昔の事を思い出した。

実は恵と智彦は、正樹と恵が付き合う以前から仲が良かった。

正樹に初めて声をかける前日、恵は正樹の一番の親友である智彦に、正樹のことについて密かに訊いていた。そのとき、恵は正樹の事が恋愛感情的に気になると誰にも内緒で話していた。恵も一目惚れだったのだ。智彦は、それは正樹も同じ気持ちだろうと恵に返していた。恵はこの出来事を誰にも話していない。それは智彦も同じだろう。つまり、この事は智彦と恵しか知らないのだ。恵はここで驚愕した。

「驚くのも無理は無いよ。実際、僕も正直驚いている。なぜ此処の世界に来たのかってね。でも、その理由が今分かった」

智彦はそう発してから、少し俯きクスクスと少しだけ笑った。

「でもおかしいよ」

「え? 何が?」

「いや、ここでの正樹も奥手だなと思ってね。本当に、あいつは何処でも変わらない。あいつが先に告白していれば……。いや、その話はやめておいた方が良いな。此処の君に話したところで運命が変わるわけじゃない」

智彦は笑いながら話すのを止めて病室の白い天井をふと見上げた。恵は彼が何を言いたいのかさっぱり分からなかった。ただ考えられる事は、彼はもう一つの世界の過去の事を話そうとした。それだけだった。智彦はゆっくりと間をあけてから続けた。

「まあ、向こうの世界での話しなんだけど、君と婚約したその夜に僕は交通事故に遭ってね。それからいつの間にか変な所をさまよってたら、突然色々なものを見た。此処の世界のね。そして最後に来たのが此処だった」

「え? あなたと私が婚約? どう言う事なの?」

「そういう事だよ。とにかく、今はこれ以上向こうの話をしている余裕はない」

智彦がとても真剣な表情に変わって言った。彼は再び間を置くように一呼吸してから発した。

「君は今すぐ正樹に会いに行くべきだ」

「え?」

恵は突然のその言葉に拒絶を覚えた。彼女は本心とは違う言葉を咄嗟に返した。

「嫌よ! 私、もう彼には会いたくない……。正樹は、正樹は私のことなんかとっくの昔

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