無料小説 処女作品@「愛するということ」第八章 =48=

正樹はハッとして目を覚ました。どうやら今見ていたものは夢だったようだ。それにしても酷い悪夢だった。彼は思った。正樹は今、どこか分からない場所で仰向けに横となり天井を見ている状態だった。彼はこの横になった状態に対して、何やら違和感を覚えた。それは場所がどうとか言うことではなく、自身の体がまるで宙に浮いているかの様にふわりとして感じたからだ。服は寝間着のような衣類にいつの間にか変わっている。正樹は自分の背中より下から様々な機器の音や人の声、そしてまた、消毒液の様な余り嗅いだ記憶が無い匂いがする事にふと気が付いた。正樹は思わず寝返る様にして下を確認した。彼が目を向けた其処には、何と、危篤状態である自分の姿があった。正樹は驚愕した。正樹は脳挫傷で意識不明の重体だった。現段階では生存確率は極めて低く、たとえ奇跡的に意識を回復させたとしても、後遺症によって社会復帰までには大分時間が掛かるという話を、駆け付けた佐代子達は聞いていた。

「そうか……、俺、病院に運ばれたのか……」

 正樹は自身がまだ完全とは切り離されていない霊体である事に気付きながらも、事件があった夜の出来事を思い出してそう呟いた。もしかしたら、先ほど夢だと思っていたのは、実は本当に起こった出来事だったのかもしれない――正樹はそう感じた。彼は危篤な自身の姿を見るのが嫌になり、集中治療室から出る事にした。勿論、幾つかの機器音、臭い、そして室内は明るいがそれに反した重い雰囲気とに嫌気が差したせいもある。正樹は扉の近くから向こう側へと、仕切られた軽鉄下地の耐火壁をスッと音もなくすり抜けた。室から出た所で細長い待合用のイスがちょうどあったので、彼はそこにとりあえず腰を下ろす事にした。どうやら意識的に、物に触れたり抜けたりが出来る事を彼は知った。待合室には、他にも手術後の全身麻酔から目を覚ます患者を待つ親族などが何組かおり、皆、一斉に一台のテレビをやつれ顔でボーっと眺めていた。当然、正樹の存在には誰一人として気付いていなかった。正樹は何気に前方にある向こう側を見た。窓の外は明るい朝を迎えたばかりだった。彼は両手を組んでは両膝の上に顎杖を付き背中を丸くした。そして考えた。この先、自分はどうなるのだろう? しかし、答えは当然見つからない。正樹は落ち込むように、深い溜め息を一つこぼした。その時だった。

「正樹君――」

 昔よく聞きなれた声が、正樹の右耳をかすり行く気がした。正樹は何気に声のした方向を見た。目を向けた先には、六十を越えている事が見た目からすぐに分かる男性が立っていた。髪は真っ白で、身なりと共に顔中にシワが目立つ。向いた先にある光景は、不思議なことにこの老人以外は焦点がずれたようにぼんやりとしていた。正樹は間違いなく何処かでこの老人の姿をすべて全く同じで見た記憶があった。果たして、いつ? そしてまた誰だったか? 正樹は記憶から探った。しかし、今すぐには思い出せなかった。二人は少し離れている。正樹の目は老人を見つめながらも無意識に瞬きを一つした。その瞬間だった。左の肩に誰かが優しく手を置いてきた。見つめる方向に居た老人の姿は何故か消えている。正樹は訳が分からぬままに気配のする方向へと顔を移した。すると、老人は其処にいた。正樹はこの一瞬である今起きた出来事に目を見開いて驚きながらも、記憶の中から一人の人物を蘇らせた。

「園長先生!

「元気そうだね。いや、その言葉は、今この状況にはふさわしくないかな?

正樹は立ち上がろうとした。が、それより先に、園長が正樹の隣に座った。正樹の脳裏には、土砂降りの中で恵と密会したあの時の記憶が蘇っていた。間違いなくあの日見た園長と今見えている人物は、顔も着る物も全てが同じだった。

「園長先生。どうしてここに?

「運命だよ。正樹君。私も君も運命によって此処に導かれた。まあ私は暗闇の中に無数とある光の塊から、偶然見つけた君の記憶へと、私の中にある一つの魂が入り込んで今居るわけだが」

 園長の話す暗闇は、あの夢で見た空間を指す事を正樹は察した。つまりは、今、目の前にいる園長は魂だけだと言うことになる。正樹はそこまで分かった。

「本当に不思議な出来事は何度経験しても慣れないものだ。実は言うとね、君の記憶に私の魂が入ったのはこれで五回目なんだよ。いや、私は神を信じる立場にある人間だが、それでも正直驚いている。過去に夢で見た通り、二つの世界は確かに存在し、そしてまた、様々な動物の記憶の塊が集合した不思議な空間と、今のこの自分があるんだからね」

――様々な動物の記憶? 自分が夢で見た空間とは違っている。正樹は思った。しかし、どうやら夢だと思っていたあの空間は現実にあって、また、その中は人によって異なるらしい。自分の見たもの――もしや自分が見た空間のあれは、地獄だったのではないだろうか? 正樹は一瞬、思考の中で鳥肌が立つほどに身震いした。

「今日は朝早くから家の近くで散歩を楽しんでいると、突然事故に遭遇してしまってね。たった今、近くの県立病院に運ばれた所なんだが、私の場合、もはや手の施しようがないらしい。間もなく自分の人生は終わる」

 園長はさらりと話した。正樹はこれで園長が何故この状態で居るのかまで理解できた。園長は続けた。

「しかし、この状態になってからの時の経過は本当に遅い。事故に遭ってから時間はそれほど経っていないのに、もう私は三日分ほど色々と動いた気がする」

園長は視線を俯かせ、そして何かを思い出したように、少しだけニヤリと笑った。

「……園長先生」

「ん? 何かね? 正樹君」

「自分も園長先生の言う暗い空間を見ました」

「そうだろう。でなければ、君は此処にこうした姿で居ない」園長は窓の外を、視線を上げて見た。

「……自分は、自分は神なのか何なのか分からない相手と話をしました」

「話をした? その存在とかね?

 園長は正樹へ顔を戻した。

「はい、それは神ではなく俺自身だと言ってました。でも、それは神だったと自分は思っています。……とにかく、自分の見た空間は地獄でした」

「正樹君。神の存在は物体ではない。だから実際に話す事は出来ない。しかし、神とは紛れもなく形のある存在だ。例えば神が本当は存在しなかったとしても、信仰により人は癒やされ勇気付けられ、そして救われたならば、その清き良き偽りから人々は形ある光を見た事になる。神の存在とはそう言う物だよ」

「……それじゃ、あれはやっぱり自分自身だったと言う事ですか?

「あれが何を指しているのか私には分からないが、それは神ではなく君だと言ったんだ。いいかい? 正樹君。光の中にも色々とある。善があれば悪もあるようにね」

と言う事は、もしや、今まで見た光は自分が起こしたと言う事になるのか?――正樹は自分の内だけでそう巡らせたつもりだったが、無意識のうちに独り言で呟いていたようだ。園長がそれについて返してきた。

「そうだよ。正樹君、全部が全部ではないが、君が見た光の内幾つかは、その空間で君が起こした事だ。そして智彦君が消えたあの夜の後、光は自身が見せている事に薄々と君は感づいていた。君は恵君にこう話していたね。光は未来の自分が見せているではなく、それは見た感覚なんだと。あの時君は気付いていなかったが、私は君の前から智彦君が消えてからの記憶にも先ほど行って見ていたんだよ。そしてその直後、私は君を養子として迎え入れる事になる上間良晴君の見える記憶に先回りしたというわけだ。しかし、勘違いしてはいけないよ。私は君の運命を変えたわけではない。私は只、魂がさ迷うがままに身を任せただけなんだからね。いや、私は行き交った。そうする事が、私がこの世界で最後に行うべき運命だった。そういう事だよ。正樹君」

 確かに先ほどの、あのとても寒く真っ暗な空間にいる事に気づいた時、過去の出来事を自分は幾つか覗くようにして見た。その内二つは中にまで魂が入り込んでいる。そしてまた、ただ一つを省けば、全て第三の視線から見たものだった。それじゃ、空間から覗き見る事も入り込む事もしていない過去に起きたその他の現象は一体?

「神は人それぞれにある物で、世界に一つではない。つまり光は全て自分自身が見せたものではないんだよ。過去の君が今の私を見た様にね。これで納得がいったかな?

 正樹は一瞬、またしても自分は無意識に呟いていたのかと思った。が、しかし、それは違うと分かった。園長は正樹の心の呟きも聞こえていたのだ。

「過ぎ行く人生はもはや誰も変えることは出来ない。だが、行動を起こすことは出来る。しかし、君は残念ながらもう現状から戻る体ではない。もうすぐ君は永遠に深い眠りにつくことになる。だからこれから言う私の話をよく聞きなさい」

 自分は死ぬのか? 正樹は自身が亡くなると知らされた途端に突然と全身が重くなった。園長は実にゆっくりとした口調で続けた。

「いいかね、正樹君。人生というものには、実は二通りのシナリオがあって、それはDNAの様に、螺旋状にその生き物の生涯を形成し同時進行している。人生の中には運命を左右するという言葉があるが、それはその太いAとBの間に描かれた線の事を意味していてね。つまり、運命の分かれ道というものは、ちゃんと目に見えて存在してあるわけだ。そしてね、正樹君。例えば、片方の世界で人は悩み苦しみ、その結果、もう一つの世界へとその人が選択すれば、そのもう一方の世界へと向かわれるこの分かれ道の中で、実に様々な出来事が必ず起きる。中で愚図ついたり、辿り着けずにやはり引き返したり、もう一つの世界を見た錯覚のまま戻ったりとする事もあるだろう。勿論、戻ったつもりでも、それは実際には新しい道だったりすることもある。つまり、同じ道を利用して自ら意識的に世界の場所を決定し瞬時に行き交う事は、たとえ今ある霊体でも、残念ながら普通の人間には出来ない。しかし、驚いちゃいけない。実は言うと、私はその自ら考え行き交う方法を、不思議なあの空間の中で偶然知ってしまった」

 正樹は目を見開いた。

「それじゃ、もう一つの世界へ意識して移動する事が出来るって事ですか?

「まあ最後まで聞きなさい。だが、移動できた所で決して忘れてはいけない。しつこいようだが、生き物の人生は全てDNAの様になっている。その為、過去や未来といった形の中にあるものを、二つの世界から完全と消去したりするということは残念ながら出来ない。もし、出来たとして、しかしその行為を行えば、自身のみならず関係する物までもが全て完全と元から無かったという事になる。つまりは成立せずに消去されたのと同じ事になるわけだ。全てがあって君も周りも成り立つ。だから、いいかね? 正樹君。それだけは絶対にしてはいけない」

 正樹は恵の話を思い出した。確かに最後会ったあの時、恵も同じ事を言っていた。園長の話は続いている。正樹は直に我に戻って聞いた。

「――人は何か不幸に合うと、もう選択する事が出来ないもう一方の人生に対して悔やむが、決してもう一つの人生が今のこの世界よりも幸せだとは限らない。また、これから君が向かうであろうもう一方の人生へ更に踏み入ることがあれば、その時点でもう二度と今のこの世界には戻る事は出来ない。それはたとえ耐え難い現実が立ちはだかっていたとしてもだ。つまり、君は辛い人生を二重に繰り返す、いや、これほどに苦しんで来たのにも拘らず、それ以上にもう一つの世界では過酷以上の経験を受けることになる可能性もあるわけだ。君は今夜、完全にあの世へと静かに旅立つ。もう最悪なまでの世界とはこれでおさらばし、もはや永遠の安らぎを決断する事も、また一つの良い選択技なのだよ」

 園長は正樹が世界を一つにしたい、移りたいと考えている事を知っている。もしかすれば二つの世界共に正樹の未来を完全と知る園長が最後、彼に訊いた。

「正樹君。それでも今、君は運命通りに私から方法を聞くと言うのかね?

まるで正樹がこれからもう一つの世界へと移り、そして更に踏み入る事が最初から決まっているかのような園長の言い方に、正樹は正直戸惑った。正樹は逆に訊いた。

「……自分は此処で方法を知る運命にあったということですか?

「どうやらそうらしい。私にはとても信じられないが、神はそう決定なさっているようだ。何と言うことだろうか……。君が余りにも哀れでならない。しかし、正樹君。君は……」

 園長は言葉を止めた。やはり先生は全てを知っているようだった。

「……何ですか? 園長先生」

 正樹は気になった。園長は思わず俯かせていた視線を正樹の顔に戻した。

「いや、これ以上話す事を私には許されていない。今、此処で言ってしまえば、君の運命を変えてしまう事になる。正樹君。君は与えられた運命をそのままに受け止めなければならない。……とにかく、光の理由を知りなさい。そして最後に、ゆっくりと優しく目を閉じれば良い」

 園長はそう言って微笑みながらも、零れるほどの涙を目に浮かべていた。

 正樹は運命に従い、もう一つある世界を生きる決心をした。園長は方法を教えた。現実的に世界へ踏み入る方法も正樹は聞いた。もう一つの自分が眠りについた時に、同じ様な体制で横に重なれば良い。ただそうするだけで二つの体は一体化される。勿論、一体化せずに世界をさ迷い続ける事は出来ないと言われた。自分が繋がっているコチラの世界の物体が死んだ瞬間に、魂はどちらに居ようがあの世へと移される。正樹にはもう時間が無い。彼は今日死んでしまうのだ。正樹は園長に三つほどの方法を教えられた。その内の一つは、人生の中で最も大きなポイントへと自動的に向かうと言うものだった。そしてまた、園長と違って、運命も特別で無い全く普通の人である正樹の場合、教えられた方法の選択は、行動を含めて一回だけだと言われた。そのため、何処に向かえば良いのか分からない正樹にとって、他にある二つの手段はとても選べなかった。とにかく、これからもう一方の現実に踏み込む事で、正樹はもう二度とこちらの世界へ戻る事は出来ない。彼はもう一つの世界へと向かった。

正樹は方法を使う直前、自身の世界も見に行ったのですかと園長に訊いていた。園長は勿論、もう一つ存在する自分の運命も見ていた。園長先生は、過去に医者の道を目指すか否かの選択に迫られた事があるという。しかし、彼は社会福祉の道を選び、留学生を経て沖縄県の職員となった。そして後に児童養護施設の施設長として活躍したわけだが、もしかしたらもう一つの世界では、自分は医者になっているのではないか? 彼はそれをふと思い、気になってもう一つの世界へ方法を使って覗きに行ったらしい。しかし、最後の答えまでは正樹には話してはくれなかった。ただ、正樹が園長から一つ悟った事は、園長はこの世界でそのまま生涯を終える事を決めたと言う事。正樹とは違い、もう一つの現実に彼は踏み入る事をしなかったのだから、自身のこれまでの人生に悔いはないと言うことだろう。そして完全体である正樹の魂は、もう一つの世界へと辿り着いた。

世界に1つだけのプレゼントなら!商品数3万点の「ギフトモール」

コスメ、香水、ヘアケア、アロマの激安販売!ベルモ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA