無料小説 処女作品@「愛するということ」第八章 =47=

 その世界はまるで違っていた。場所は下校時の夕方だった。向こう側から伸びてきている公園の中にある道を、高校生のカップルがこちらへと向かって歩いてきた。ここは公園の高台に位置する場所で、丘の下に町並みと西海岸が一望できる。正樹の直目の前には、塗料でウッドに見せかけた固いコンクリートのベンチがあった。制服姿の二人は、向こうから歩いてくるなり、正樹の影を通り過ぎて其処に座った。正樹の体はまるで空気の様に、二人を何の抵抗もなくすり抜けさせた。周りには正樹と二人以外の人は見当たらない。正樹は、二人が自分の体をすり抜けた事実よりも、二人が智彦と恵である事に対して驚いた。二人はどうやら正樹の存在に気付いていない。座り込んでから話をしだしたのは、恵の方からだった。

「夕日、綺麗だね……」

太陽と上空はすっかりと赤に染まっている。欠片へと変わり行く太陽の下で、地平線が涙を浮かべた様にして揺らいでいた。

「ああ、そうだな……」

 智彦は恵の言葉に声で頷いた。

「正樹も同じ高校だったら良かったのに。……ほら、中学の時、三人で夕日見たことあったでしょ。あの時は、本当に綺麗だったな……」

 思い出に耽るように恵は呟いた。その言葉には、何となく切なさが漂って感じた。

「正樹が居ないと少し物足りないってやつか?

 恵の感情を逆撫でる様に、意地悪く智彦は恵に訊いた。

「そうじゃなくて……。ほら、ずっと三人一緒だったじゃない。だから」

 恵は戸惑いながらも智彦にそう返した。

「……そうだな。あいつが中学の時、転校してきてからずっとそうだった」

 二人はせっかくの雰囲気が台無しになった気分だった。夕日が今、完全と揺らいだ地平線に沈もうとしている。黄昏から寂しさを感じながらも、智彦が口を開いた。

「なあ、恵」

「ん?

 恵は気分悪くした様子を隠すように優しく発した。

「いい加減、正樹の話やめて、俺だけ見てくれないか?

 智彦の言葉に恵は再び戸惑いを見せた。

「……御免。あたしはただ」

 智彦が遮った。

「分かってる。お前は正樹の事も俺と同じくらい好きなんだろ? いや、もしかしたら俺よりもあいつの事の方が好きなのかもしれない」苛立ちを押える様子で智彦は言った。

「……」

 恵は何も返せなかった。智彦は続けた。

「でもな、恵。今、お前は俺と付き合ってる。そうだろ?

 智彦の言いたい事は尤もだった。この世界の恵は正樹とではなく智彦と交際している。だから彼は自分と正樹を同じ感情で見て欲しくなかった。恵は少し考えてから答えた。

「……分かった。これからは智彦の事だけ考えるようにするね」

 恵はやがて紫色に変わった空を見上げてから下へと俯いた。そして、呟く様に力なく智彦へ発した。

「御免ね。あたしがいつも正樹の話しするから……」

「いや、別に誤るなよ。俺はただ本気で好きになって欲しいだけだからさ」

「うん、分かってる……」

 俯いた恵の横顔を長く艶のある黒髪が隠しており、横に座る智彦の方からは彼女の表情を確認する事が出来なかったが、その言葉には、薄らと涙が込上げている事が感じとれた。智彦は何だか距離を更に開けてしまったような気がして気持ちが焦った。彼は恵を此方へと引き寄せる思いで言った。

「恵。キス、しないか?

「え?

 恵は思わず智彦に顔を見せた。やはり目には涙が滲んでいた。智彦は構わず顔を恵へと寄せてキスを迫った。恵はハッとしながらも、智彦に合わせてそっと瞼を閉じた。瞬間、溜めていた涙が、遂には彼女の頬を伝った。二人は、とても長いキスを交わした。正樹はたまらず目を見開いた。すると、今、頭の中で覗いていた光景が、瞬時に消え去った。

「智彦……。どうしてお前が恵と……」

 正樹の感情は、二人を相手に渦巻いた。恵、どうして智彦と……。正樹は過去に見た同じ世界で薄々とは気付いては居たが、やはりどうしてもその世界の現実を突然には受け止める事が出来なかった。智彦は中学の時に同級生の恵と付き合い、そしてそれは高校でも続いている。正樹は二人とは違う進路を選択し、そして彼は二人から離れた。それがもう一つある世界の運命だった。正樹は二つの世界の運命は決して同じでは無い事を分かっているつもりだった。しかし、これではあまりにも彼にとって残酷だと言えた。只、もう一つの世界の恵も正樹の事を思っていると言う事が、彼にとって唯一の救いだった。そうではなかった。だからと言って恵の運命は智彦を選んでいる。それをたった今、自分は確かに目撃したではないか。やはり、もはや心中は絶望だった。結局、自分と恵は縁が無かったという事なのか? 頭の中でそう思いながらも、正樹はもう一つの世界におけるこの先が気になった。

「この先、一体……」

 正樹は無意識に呟いた。その直後だった。

「それを知りたいかね?

 何処からともなく男の声が突然と聞こえた。それは、何かとても懐かしい声色に近かった。

「誰だ?

目の前に見えていた螺旋状の記憶の塊が何時の間にか消えている。正樹は完全なる暗闇の中を、焦点を何処に合わせれば良いのか分からないままに、辺りを見渡す素振りをした。

「私だよ」

 声がまた届いた。一体誰で、そして何処から喋っているのか?――正樹は思った。彼は暗闇による少しばかりの恐怖を感じながら、焦り気味に訊いた。

「何処だ? 何処に居る!

「此処だよ。見えないかね?

 声は間違いなく直近くから聞こえていた。正樹は周辺を手探りした。しかし、何一つ手に物はぶつからず、誰も居ない様だと彼は察した。正樹の頭の中は少し混乱した。こんなにも暗闇に拘らず、相手は正樹の全てに気付いていた。

「まだ分からないのかね? 正樹君、此処だよ。此処。私は君の中に居る。私は君が作り出した心の光の中に居る物体の無い魂だよ」

 正樹はハッとした。

「え? 心の中に居る魂? これは俺の中から聞えているのか?

正樹はとても信じられなかった。だが、良く感じてみると、確かに声は自分の中からも聞こえてきているようにも思われる。そんな、まさか――しかし、正樹はこの不思議で夢のような空間の中において、それは十分ありうる事だと考え直した。

「そう。やっと分かったようだね」

 まるで心を見透かしているかの様に相手は言った。正樹は相手が自分の声ではない事から、今聞こえている声の主は神なのかと、咄嗟にそう思って訊いてみた。相手は直に答えた。

「確かにそう呼ぶ人間も居る。しかし実際には神とはもっと違う特別な所にある。つまり私は君自身であって神ではない」

 だが正樹は、この相手を神だと心に決め付けた。そして彼は、とにかく早くもう一つある世界の続きが知りたいと言う気持ちを走らせた。神ならば全てを知っている筈。そう思ったのだ。

「教えてください。俺はいや、智彦と恵はこの先どうなるんですか?

「……本当に知りたいのかね?

正樹はコクリと頷きながら「はい」と答えた。それならば、と相手は教えた。

「二人は順調に交際し、そしてやがては婚約する」

「婚約? 二人は将来結婚するという事ですか?

「全ては君が作り出した未来だ。そして運命はそう辿り着いたんだよ」

「え? 俺が作った? どう言う事ですか?

正樹は訳が分からなかった。自分が智彦と恵の運命を作ったとでも言うのか? 相手は疑問に答えた。

「君が協力して彼と彼女は結ばれたんだよ。そして、もう過去を変えることは許されない。君の居た世界でも、もう一つの世界でも、君が想う女性、つまり恵とは永遠に繋がる事は無い。もう終わったんだよ。残念ながらね」

 なんだって? 俺が協力しただと? 正樹は驚いた。と同時に、彼は瞬時に思考を巡らせた。そして、段々とだがある程度の事実が見えてきた。とにかく、もう一つの世界の正樹も恵の事が好きだった。それは今聞こえる相手の話から伺える。しかし、恵と互いに惚れあっているにも拘らず、二人は結ばれなかった。それには、恐らく智彦の気持ちの存在があったからだろう。この世界では、智彦も正樹と同じ位に恵の事が好きだった。それで正樹は智彦に譲った。つまりは、正樹は恋ではなく友情を選んだ。そして恵は、二人の関係が壊れぬ様にと、正樹の気持ちを考えて智彦の告白を受け入れる事にした。恐らくはそう言う事だろう。もう一つの世界の運命をあくまでも想像の中でだが悟った正樹の中で、急に怒りとやるせなさが爆発した。彼はたまらず、「そんな馬鹿な話があってたまるか!」と空間に響くほど大声で発した。思い切りに声を発した後、正樹はがっくりと肩を落として俯いた。すると、今度は何だかとても悲しくなってきた。彼は力なく震えた声で呟いた。

「どうして、どうしてなんだ……」

 正樹はとても辛くて泣き出しそうになった。自分の人生は二つ共に自らあらぬ方向へと進んでいる。それがたまらなく悔しかったのだ。

「君の気持ちは良く分かる。しかし、君が決めた運命――」

 正樹は言葉を遮り思わず発した。

「違うんだ! 神様……お願いだから訊いてくれ! 違うんだよ」

 正樹は諦め悪く縋る素振りで両腕を前方に伸ばした。やはり目の前に人らしき感触などなかった。正樹は気付かぬ内に、とうとう涙を流していた。

「私にあれこれ言っても仕方がないだろう。忘れてはいけないよ。私は神ではなく君なのだから。これから君は向こうでも此処でもない世界で永久に過ごす事になる。それがこれからの君の運命なんだよ。納得が行かなくとも、もう決まった事なんだ。諦めなさい」

 それを聞いた直後だった。何やらとても恐ろしい気配を正樹は感じた。それには、まるで冷めたスープのように温かみ等というのは一切無く、感触の瞬間から気持ちの良いものではなかった。殺気がした途端、正樹の体に屍の手が無数と纏わり付いてきたのだ。気持ち悪い感触以外に何も見えない物体――。それは、彼を完全なるあの世へと道連れにする為に現れた、未だに浮かばれない黒き魂の集団だった。正樹は察した。が、しかし、もはや遅かった。既に屍の手が容赦なく正樹の体の至る所を掴んでは、此処ではない何処かへと引きずり込もうとしている。一体どこへ連れて行こうというのか? 瞬時に正樹の脳裏へと浮かんだ答えは、天国か地獄かまだ分からない完全なるあの世だった。正樹は、全身の彼方此方掴まれた無数の手を解こうと、とにかく力の限り藻掻いた。

「嫌だ、まだ行きたくない。恵と智彦に……ちょっと待て。や、やめろやめてくれ!

「止めて欲しいのかね?

「そ、そうだ。俺はまだ行きたくない。行くわけにいかないんだよ! や、やめろ!

 正樹は必死に抵抗した。

「そうか。それならば、君は此処で永久に過ごすしかない。この暗闇の中でね」

「そんな……」

 正樹は絶句した。直後、屍の手が一瞬で全て消えた。正樹は解放された。しかし、彼は決して素直に喜べなかった。何故なら、途方もなくこの空間に閉じ込められるのも御免だと言う気持ちが、直に頭の中を過ったからだ。見えぬ相手は最後に言った。

「さようなら。正樹君」

「お、おい、ちょっと待て!

言葉は返ってこなかった。正樹は突然と一人、この空間に取り残されてしまった。今、この空間は記憶も何も無いただ真っ暗な世界だ。それは、これまで一度たりとも経験した事が無い黒だった。その黒へ対する恐怖と絶望感は、とにかく想像を絶した。正樹は震えながら呟いた。

「何でこんな暗い所にずっと閉じ込められなきゃいけないんだ?

 言葉は誰にも届いていない。今度は急激に寒くなってきた。光が一切無いからだろう。もはやその空間が温まる要素が何処にも見当たらない。当然だった。

「寒い……、寒くて死にそうだ。誰か出してくれ!

 段々と正樹の精神が異常化してきた。彼は今にも狂いだしそうだった。

「お願いだ。もう一つの世界でも何でも良い。だから戻してくれ! お願いだから、誰か!

 やがて正樹は、とうとう発狂した挙げ句、この空間でも気を失ってしまった。

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