無料小説 処女作品@「愛するということ」第八章 =45=

愛すると言う事~第八章

香織が完全と居なくなってから、正樹は久しぶりに再び孤独な休日の繰り返しに戻っていた。彼女と別れてから最初の日曜。この日、正樹は一日中何もする気が起きなかった。正樹は今、部屋に一人物音を立てる事なく壁にも垂れて座り込んでいる。正樹は向かい側の白い壁の上辺りを見た。石膏ボードの上にクロスが貼られたこの窮屈な部屋の白い壁には、香織から貰った少し可愛い掛け時計が下っている。香織は二人の時間をこれから大切にしてほしいと、それを付き合って最初のころ正樹に贈った。正樹はその掛け時計をただ呆然と眺めては、香織の気持ちを踏み躙った自分に対して怒りとやるせなさを込上げた。恵の時と言い香織の時と言い、自分は何て勝手で愚かなのだろう。繰り返してしまった自分の浅ましさに、正樹は心底嫌気がさしたのだった。

 香織と別れてから一か月ほど経過した。しかし正樹の心は、まだ香織と別れたあの日から時がさほど経過していなかった。正樹は気晴らしに、職場の上司にあたる伊藤勝則からしつこいほどに「開放している」と話を聞いていた駅前のパチンコ店へと玉打ちに一人でふらふらと出かける事にした。だらだらと歩いては、やがて店へと辿り着いた。正樹は自動ドアの向こう側で待つ娯楽の世界へ躊躇する事無くスッと入った。途端、耳が痛くなるほどにホール内へ響くけたたましい音が、正樹の耳をこれでもかと攻撃した。が、しかし、それが彼に纏わりつく自己嫌悪な空気を一瞬で何処かへと吹き飛ばしてくれそうな気がして、今の正樹には何だかちょうど良かった。正樹は、台の隣に設置された機械で玉を購入してから、早速パチンコを打ち始めた。次々と発射されていく銀色で艶のある小さな球体の幾つかが、遂には入賞口へと流れ込んだ。中央に設置されたデジタル表示のドラムが、音楽と共に回転する。正樹はしばし時を忘れてそれを何回も繰り返した。夕方をとうに過ぎ、やがては夜を大分迎えた頃、正樹は勝則と店内でばったり出くわした。打ち続けて気が付けば閉店前。いつの間にか二人は台を並んで打っていた。

「くっそー、やっぱり出ねえな」

やたら悔しそうに勝則はそう言うと、ひょっと正樹が打つ台を覗いてきた。

「あっ! お前、リーチかかってんじゃねえかよ」

少し大げさに勝則は言った。

「あ、はい……」

正樹は力の無い声で返した。その直後、リーチは外れた。見ていた勝則は自分の事の様に舌打ちをして台から目を離した。

「なんだよ。外れかよ」

勝則はしけた顔でそう発してから、今度は正樹の表情を伺ってきた。正樹は先ほどから感情の無い様子だった。勝則は思わず訊いた。

「おい正樹。お前、最近ほんと元気ねえな。大丈夫か?

「あ、はい、大丈夫ですよ」

正樹は答えたが、勝則は、それは違うとすぐに分かった

「お前、もしかして、香織ちゃんの事でまだ落ち込んでんのか?

「……」

正樹はそれには答えられなかった。

「そうか……」

口をつぐんだ正樹を見て、勝則は溜め息混じりにそう発した。次の瞬間、勝則がいきなりと正樹の肩をぽんと叩いて手を置いてきた。勝則は元気付けに言った。

「よし、それじゃあ来週一緒に飲みにでも行くか」

「え?

 正樹は少し驚いて勝則の顔をチラリと見た。

「良い店だぞ。お前と余り変わらない年の可愛い子も居る」

「いや、でも俺、そういう所は慣れてないので遠慮しときます」

 直に勝則の言う飲み屋がスナックだと分かった正樹はそう返した。正樹はこれまでその系には、同じ寮に住む先輩達と三回ほどしか行った事がなかった。

「毛の生えた大人が何言ってんだよ。どうせお前、今度も土曜の夜から暇してんだろ?

「まあ、そうですけど……」

 正樹は断る理由を失った。

「決まりだな。土曜日、仕事から帰ってきたら準備しとけよ」

 勝則はそう言うと、再びゲームを続けて残りの玉全てを台の中へと吸い込ませた。

来る土曜の二十二時ごろ、正樹と勝則は下赤塚駅前の居酒屋から成増にある勝則が行きつけのスナックへと向かった。土曜らしく、少し狭い店の中は先客で幾分混んでいた。二人は一度、空席を入り口で確認してから中へと入った。席につくなり、勝則はキープしてあるボトルを三十代前半に見える少し狐顔をした顔馴染みのホステスに頼んだ。席にはその女性がついた。シャネルであろう香水の匂いがぷんぷんと正樹の鼻元まで届いてきた。女は二人へ軽く挨拶し席についた後、シングルモルトウィスキーの山崎を氷の入ったグラスにトクトクと注いだ。そしてそのロックを水で割りながらも、正樹の事にそれとなく触れてきた。

「勝則さん、こちらの若い御連れさんは職場の方?

「ああ。一応、営業じゃなくて現場の方回ってる奴だけどな」

「へえ、そうなんだ。明美です、よろしく」

「名前は正樹って言うんだ。覚えやすいだろ?

「え、名字は?

「上間です」正樹は答えた。

「上間って言うんだ。出身は何処? 東京じゃないよね?

「沖縄だよ」勝則が横から教えた。

「え? 沖縄なの?

「はい」

「へえ、そうなんだ」

話は一旦ここで止まった。明美は出来た水割りを二人の前に置かれたコースターの上に優しく乗せてから「私も頂いて宜しいですか?」と決まり文句を言った。勝則が「どうぞ」と発すると、明美は躊躇なしに営業用の一回り小さいグラスに水割りを作り、それから「それじゃ、頂きます」といって二人にグラス合わせを求めた。勝則から先に水割りを軽く口の中に含むのを見てから、正樹も喉の奥へとウィスキーを流し込んだ。途端、世界が更に心地よい大人の雰囲気になった。明美が先ほどの続きを話しだした。

「そう言えば、ここの常連さんで沖縄の人がいるわよ。今日も来てるけど、ほら、あそこの一番奥の席に座ってる人たちの中に居るんだけどね」

「へえ、そうなのかよ」

 勝則が軽く後ろを振り返って言われた方向を見た。正樹もそれに同調する様に、勝則の向かいの席からあちら側へと視線を移した。見ると四人組の男が、二十代前半であろう若いホステスを口説く様にして楽しく会話をしている。コチラ側へと席が向いて座る二人は、とりわけ女に夢中の様子で、後頭部をこちらに向けた残る二人と同じく、勝則と正樹の視線に全く気が付いていなかった。正樹はその顔が確認できる二人の男を軽く流すように左から見た。そして、とてつもない衝撃が正樹の全身を駆け巡った。そんな、まさか! どうして奴が此処に? 正樹は、直にはとても信じられなかった。しかし、視線の先にいる男は、紛れもなく中田健二だった。これはもう幸福から突き放す神に与えられた自身の運命を正樹は感じる他なかった。その後、施設での記憶が走馬灯の様に駆け巡りながらも、正樹の心にあらゆる思考が交錯した。もはや勝則と明美の声など余り耳に入らなかった。正樹は感情を隠す様に、明美によって作られる水割りをどんどんと飲み干した。神は何故に、この様な巡り合わせの場を自分に齎したのか? 復讐しろと言う事か? しかし、それじゃ健二とまるでやる事が同じではないか。だが、それは昔の話とはいえ、正樹は奴に仲間を奪われた挙句、奴の指示で裏切りとも言うべき集団リンチに遭った。そして、遂には恵と別れてしまった。もう二度と無いかもしれない機会にありながら、あの時のとてつもない痛みと苦しみを、健二へほんの少しも返すことなくこの場をやり過ごすのは、当然ながら正樹は御免だった。報復までとは行かずとも、せめて奴の顔を思い切りに殴りつけてやる位は、誰にでも許される事だろう。酔えば酔うほどに込上げる怒りの中で、正樹はそう判断した。しばらくしてから健二の携帯が鳴った。彼は携帯を手に取り受話口を耳に当てては、ちょうど始まったばかりのカラオケで煩い店内から避けるように外へと出て行った。それを見ていた正樹は、今が絶好の機会とばかりに、勝則へ適当に理由を作ってから健二の後に続いて外に出た。携帯と煙草はそのままテーブルの上に置いてある。事が済めば、正樹は再びこの場に戻るつもりだった。店の外に出ると、健二はすぐ其処で向こうを見ながら電話の相手と会話していた。どうやら相手は別の店のホステスらしかった。今日は店に来れない等と話しているのが聞こえる。直ぐに大して重要な電話ではないと察した正樹は、通話にかまう事無く健二の背後から「おい」と勇ましく声をかけた。正樹の声に健二が振り向いた。瞬間、正樹は利き腕で健二の顔面を思い切りに殴った。健二は携帯を何処かへ飛ばしてその場に倒れた。

「痛ってえな、なにすんだよ!

 健二は頬を撫でながら発した。彼は血の混じった唾を吐き捨ててから訊いてきた。

「誰だよ、お前」

健二はいきなり襲ってきた相手が誰なのかまだ気付いていなかった。正樹は、自分の事を完全に忘れている健二にとても腹が立った。過去に思い切り虐めた相手をそれは簡単に忘れているのかと、彼は咄嗟に思ったのだ。思わず感情が頂点に達した正樹は、立ちかけた健二の腹部を、声を出しては渾身の力で蹴りつけた。健二は咄嗟に両腕で腹部を隠した為、受けたダメージは半減した。が、しかし、大分効いている様子ではあった。正樹は思い切り蹴りつける際、感情極まった声と共に、「俺を忘れたのか?」と発していた。

健二は痛みが辛く顔を顰めながら正樹の顔をよく見た。そして、ようやく相手が誰なのか気付いた。彼は苦しさで詰まりながらも言った。

「ま、正樹! どうしてお前が此処に?

「それはこっちが訊きたいな。立てよ」

 正樹はそう言って健二を自身で立たせた。完全に立ち上がったところで正樹は再び健二の顔面を殴ろうとした。殴れなかった。口説く事ばかりであまり酒が進んで居なかった健二が、大分酔った正樹よりも一瞬早く拳を走らせていた。そして健二の拳が正樹の鼻元に直撃した。直ぐに正樹の鼻から鼻血が流れだしては顎の下で滴り始めた。くそ! 手の甲で血を拭う正樹の頭にその言葉が巡った時だった。健二が今度は仕返しとばかりに、正樹の腹目がけて飛びつく様に膝蹴りを見舞った。正樹は激痛にたまらず縒れた足の片膝をついた。健二はもう一発と容赦なく顔めがけて蹴りを入れにかかった。が、しかし、それを止めた。その代わりに、荒くした息を落ち着かせながら健二は言った。

「お前は本当に昔と同じで相変わらず馬鹿だな。おい、正樹。お前、もしかして昔のこと一々思い出して俺に殴り掛かってきたのか?

正樹は苦しい顔をしながらも、健二を思い切りに睨み付けた。

「本当にどうかしてるな。お前」

 健二は唇を歪めた。

「お前は俺を相当苦しめたんだ。近くで見かけといて、何もしない方がどうかしてるだろ?

 健二は舌打ちして呆れた顔を見せた。

「そんなこと早く忘れりゃときゃいいのに……。おい、もうだいぶ前に終わった事をわざわざ掘り起こすなよ。思い出す度に、逃げた自分が情けなくなるだけだろ? え? 違うか?

 健二は言った。健二の哀れな嫉妬のせいで、正樹は随分と辛く苦しんだ。そして、その傷跡の痛みは、今でも終わることなく続いている。それを簡単に忘れろだと? 正樹は改めて健二に対して激しい怒りを覚えた。が、しかし、健二の言う事も少しは当っていた。確かに、自分が弱く逃げた為に、恵とは終わった。それを思い出す度に、自身がとても情けなくなる。そして仕舞いには、正樹を将来救ったであろう、とても良い女性だった香織とも最近別れてしまった。健二の言うとおり、香織と付き合った段階で、過去の事など、あたかも痛みが完全と麻痺したように忘れてしまえば良かったのかもしれない。そうすれば、健二と今日此処で会うこともなく、全ては幸せな方向へと新しい人生は進んだだろう。しかし、運命はそれを拒んだ。そして過去を遡るように、こうして健二と偶然再会してしまった。正樹は今日、その運命から逃げなかった。この先、それがどういう結末へと導かれる事になるのかは果たして知らない。当然、正樹はこれから自分が生と死の狭間にある世界へと向かう等と予期して居るわけがなかった。健二が、黙り込んだ正樹を見て図星だと勝手に察した。彼は調子に乗り話を続けた。

「そう言えば、お前の相棒だった智彦も馬鹿な奴だったな。簡単に階段から転げ落ちてよ。でも、まさかあれで死ぬのは計算外だったし正直言って驚いた。けど、それよりも、恵のあの体は良かった。あの女は本当に最高だったよ。まあ、どれも逃げたお前には関係の無い話だな」

――? 簡単に転げ落ちた? ……恵の体? 

健二が発した言葉に、正樹は一瞬、気が動転した。この男は一体何を言っているのだろう――正樹の思考に、想像へ対する拒絶反応が作用する。正樹は信じられない気持ちで訊いた。

「お前。お前、智彦と恵に何したんだ?

 健二はフンとした態度で喋った。

「智彦は単なる事故さ。俺は悪くない。それと恵はな、お前が居なくなった後、みんなで犯したんだよ。いやあ、さすがに興奮したよ。今思い出しただけでもビンビンする」

 正樹は瞬時に殺気立った。もはや思考は我を失い一つの赤色に染まっていた。

「この野郎! 殺してやる!

 正樹は体ごとぶつかる様にして健二に殴りかかった。一発、二発と健二の顔面を捉える。しかし、健二はそれに対して応戦し、同じ数だけ正樹へと殴り返してきた。揉み合いながらの激しい殴り合いは、人目を気にすることなくしばらく続いた。

「二人とも、お店の前でやめて!

 途中、騒ぎを聞きつけ店から出てきた明美が止めに入ってきた。

「お前らもう止めろ! ほら」

 一緒に様子を見に来ていた勝則も直に仲裁に入った。

「覚えてろよ。お前だけは絶対に許さない。いつか殺してやるからな」

 喧嘩を止められた直後、正樹は恨み顔で睨みつけながら健二に言った。

「今やってみろ。ほら、どうやって殺すんだ? 見せてくれよ」

 健二は蹌踉めいた声ながら言い返した。

「……お前は本当に最低以下だな」

 何やら突然とうんざりした感情が込上げてきた正樹は、疲労した声で言った。実際、くたくただった。

「最低以下だ? 女捨てて逃げたお前には言われたくないな」

 健二はそう吐き捨てた。しかし、正樹と同じで声には力がなかった。疲れたのは健二も一緒だった。

「お前は人生も含めて全部クズだ。もしかして、姉貴もそうなのか?

正樹は健二の姉である小百合が亡くなっている事を知らなかった。勿論、昔、健二と小百合が共に里親へと出ていた事は知っているが、姉の方は中学卒業後、島から本土へと就職したとしか話は聞いていなかった。

「この野郎……」

 健二は自分よりも姉の小百合の事を言われて思い切りに腹を立てた様子だった。少なくとも正樹にはそれが分かった。

「おいおい。お前ら、どう言う関係なんだ?

 会話に勝則が割って入った。

「……昔の知り合いで、別に大した関係じゃないですよ。勝則さん、俺、今日はもう帰ります」

 何だか完全にやる気を失った正樹はそう言った。

「あ、ああ、そうだな。そうした方が良い」

 この場はとりあえず沈着したかのように誰の目からも見えた。勝則は明美にタクシーを呼んでくれと頼み、彼女は先に店に戻った。その後、正樹はテーブルにおいてある携帯と煙草を取りに勝則と店の中へ一旦戻ろうと健二に背中を見せた。しかし、その時だった。健二がたまたま直側にある花壇の上にあった建築用ブロック一つを力強く掴んでは、それを両腕で思い切り高々と持ち上げた。そして、その目一杯の高さから、正樹の後頭部目掛けて思い切り強くブロックを叩き落とした。ガツッ! 一瞬、辺りにはそれ以外の音は聞こえなかった。正樹は、重く鈍い音と共に来た脳へ行き渡る激しい目眩を感じながら横に倒れた。更に倒れた場所が不運だった。正樹は狭いスペースに作られた花壇の角に、とても強く頭を打ち付けたのだ。

「殺すってのはな! こうやるんだよ!

 健二は発狂した様な大声で、頭から血を流し倒れている正樹に向かって言った。そして彼は、よろめきながらもこの場から逃げるように立ち去った。余りに突然の事件に、勝則は頭を真っ白にして直には動けず、健二の逃げ足を声ですら止める事が出来なかった。彼が呆気にとられた状態から事態を把握した頃には、健二の姿はもう何処にもなかった。正樹は凄まじい痛みに一瞬何が起きたのか分からなかった。彼は動こうとしたが、脳はその指令を体の筋肉へと伝達する事をしなかった。正樹の全身は完全に麻痺した。

「正樹、正樹、しっかりしろ! おい! 誰か救急車!

薄れゆく勝則の声を最後に、正樹は深く意識を失った。

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