無料小説 処女作品@「愛するということ」第七章 =44=

東京に来て、早速次の日から活動は始まった。もう泣いてはいられない。恵は次の日には新たな気持ちで身が引き締まっていた。活動はまず宣材の作成から入った。スタジオでプロのメイクに化粧をしてもらい写真を幾つも撮った。プロフィールには、出身は東京でそして名前は山本レナと書かれた。新しい恵の誕生である。全ては俊夫の指示で恵を含む周りは動いた。最初は色々なレッスン、そしてファッション雑誌などのモデルを経て、二年後にはCMキャラクター、高校卒業からは舞台を何年か経験した。とにかく俊夫は徹底していた。彼はこの金の卵を絶対に腐らせまいと、細心の注意を払いながら、徐々にそして慎重に恵を業界へと馴染ませていった。恵は落ち着いてから園長に正樹の居場所について訊くつもりでいた。しかし、始めから恵に休みなど何処にも存在しなかった。まるで徹底した英才教育を受けているかの様に、それは隙間なくびっしりと予定は埋められた。これも俊夫にとっては計算の内だった。彼女を知る人間なら分かりきった事だが、恵に近付く男がこれから何人も現れたとして、そこでトラブルを避ける意味で釘を打つように恋愛は禁止だと彼女に話をしていても、それでもやはりどこか隠れて交際をするのが常識的には普通。またはそう話せば窮屈さに耐えられず業界を辞めるとも言いかねない。その為、言わずとも阻止するには時間を与えない事が一番だと俊夫は考えていた。

東京へ来て初めての冬。恵は生まれて初めてこの都会の中で雪を見た。移動中の車の中、その幻想的な雪景色を眺めていると、イルミネーションの光からまだ施設に入る前の小さかった頃のクリスマスを思い出した。家の中に響くクリスマス・ソング。半透明のプラスチックで出来た数々の人形達。そして洋風でエキゾチックな家の正面にあったイルミネーション。夕食は丸鳥の燻製焼きがメインで、それと同時に出ていたデザートは、大きくカットされた特製のクリスマスケーキ。それはどれも、とてもとても美味しかった。恵は正樹と一緒に居た施設内でのクリスマス祝賀会の事も思い出した。正樹が隣に居て、そして全てを一緒に楽しんだ。どんなに行事ごとで施設側が盛り上げようとも、恵を含む児童らの心から寂しさは絶対に拭えなかったが、それでも恵は寒さの中にも幸せを感じた。恵はふと思い出から我に返った。滾々と積もり行く雪を眺めながら、なんだか胸がとても切なくなった。

こなせばこなすほど、売れれば売れるほどに正樹の存在は遠のくだけだった。気が付けば東京へ来てから五年以上が経った。しかし、恵からすればまだ三年ほどしか経過していないと感じさせるほどに時間はとにかくあっという間だった。今年、島の成人式へは出席できず、聡子との約束は守れなかった。そして何と言っても正樹の居場所にいまだ行けずに居る事が恵はとてもやるせなかった。恵はもはや精神的に限界だった。初の主演となる今度のテレビドラマの撮影が終わり次第、彼女は休みを取りたいと申し出た。だいぶ業界でも成長した彼女だ。いつになるかはスケジュール次第だが、二・三日程度ならば流石にもう断られる事はなかった。そしてその時は訪れた。恵は最近から一人暮らしをして居るマンションで心が高鳴った。正樹がいる場所の住所と道筋は既に電話と地図で手に入れている。今日こそ本当に久しぶりに正樹に会えると思うと恵は一人宙に浮いてしまうのだった。――服はどれを着ようか? いや、電車なのだから山本レナである自分を隠す様に目立たなくしなければならない。とにかく地味な格好をし、ニットキャップとマフラーで顔あたりは隠そう。化粧はかなり薄めが良い。その方が正樹は自分だと気付きやすいはずだ。話はまず何からしようか? 正樹の姓も自分の名前も一応芸名だが変わった。その事に関してからにしようか。それとも正樹が言うまではそれには触れない方が良いのか? 顔も体も大人に成長しあの頃よりも大分変わったかもしれない。でも、大人になった正樹、そして大人になった自分をお互いに見せて驚こう。そんな事を色々と考えていた。恵は人の目が少ない夜に行動した。彼女の思惑通りに誰もが山本レナの存在に気付かなかった。いや、気付いては居たが、まさかと言う気持ちの方が大きかったのだろう。意外にも誰一人として声をかける者は居なかった。恵は下赤塚のホームに下りると足早に正樹の住む寮へと向おうとした。そしてそれは、改札口を通り抜ける手前だった。彼女は偶然にも正樹らしき男をみつけた。恵は思わずハッとした。正樹!?

恵は前を歩いているカップルの男の横顔を一瞬見てそう察した。昔の正樹と同じ髪型と背丈ではないが、輪郭等が恵をそう思わせた。向こうはコチラに気付いていない。恵の直感は寮へ近付いてゆくほど確信へと変っていった。前を歩くカップルは、まるで恵を案内するかの様に同じ方向へと歩いてゆく。自分と同じ髪型の女性が、正樹にとても似ている男にしがみ付いたり何かを訊いたりしているのが少し離れて見えた。恵は急に嫉妬心が湧いてきた。やがて寮に着いた。恵は思わず二つ三つ手前にある民家に入る振りをして隠れた。二人が寮の入り口の前で止まり向かい合ったからだ。二人は何か会話をしている。女性が正樹の胸元にそっと額を持たせて何かを言っているがよく聞えない。そこで、恵は密かに耳を立てた。女性が男の胸元から離れた後に発した声がはっきりとこちらまで届いた――

「今日はわがままばっかり言ってごめんなさい。それじゃあ、おやすみなさい。正樹さん」

!――

 恵は思わず口を手で隠した。男はやはり正樹だった。女性は顔を上げた。正樹と女性は温もりを感じるキスを交わした。もう其処はまるで二人だけの世界だった。恵は気が動転した。少ししてからだった。

「おやすみ」

 正樹がそう発したのがかすかに聞えた。彼は寮の中へと入り、女性は駐車場へと消えた。恵の視界が少しだけ朦朧とした。辺りがぼんやりとかすんで見える。恵は小さく呟いた。

「……どうして、どうしてなの?

それは恵にとってあまりにも残酷だった。恵は手を口に当てたまま屈みこんだ。恵は、時は常に動いているという事を忘れていた。いや、見ない様にしていただけかも知れない。今、恵の目に入った正樹は、新しい運命を手に入れている。少なくとも彼女はそう思った。施設で最後に正樹と会ったあの時、確かに別れを口にしたのは自分だ。だから正樹がとやかく言われる筋合いは無い。それなのに、何時までも自分の事を正樹が思っている訳が、そんな事があるはずがないではないか。――嗚呼、自分はなんて勝手なんだろう。恵は自分自身に涙目で叱責した。しかし、誰も恵を責められない。彼女は正樹の事を本当に運命と心から信じていた。また、母にもそう言われていた。別れた後、正樹は施設に会いに来ていた。それはきっと恵が願っていた事を彼は言いに来たに違いなかった。恵は遅れすぎてしまった自分に対して、ただ悔しくて悔しくてとてもやりきれない気持ちになった。

「正樹、正樹……」

とうとう恵は、その場で泣き崩れてしまった。

後日から恵は正樹の事を忘れようと仕事だけに打ち込んだ。それは毎日、心が晴れたようにすっきりとした気持ちだった。そうではなかった。恵が仕事から帰ると、突然と襲い掛かるように正樹が脳裏に浮かんでは彼女を攻撃した。そして恵はたまらず一人しくしくと寂しく泣くのだった。それはもう何日も終わる事無く続いた。そう言えば恵は最近、霊的なものや奇妙な世界を見ていない。それに関して彼女は正樹との事が完全に終わったからだと決め付けた。運命は時と共に変わり、世界は色を変えた。只それだけだと考えた。勿論、恵はまだ心の片隅では完全に納得したわけではなかった。仕事は恵が望むとおり更に多忙を極めた。もはや山本レナを知らない人間はごくわずかだろう。彼女は日夜問わず良く働きそして寝る前に泣いた。それは先ほども話したとおり決められた工程のようにずっと続いた。やがて一年後、恵は過労と治る事の無い精神的な病によって、都内のロケ現場で遂に倒れた。そのロケ現場は、たまたま都立病院に隣接する公園だった為、スタッフは何も迷う事無く恵をその病院へと直ちに運んだ。彼女は緊急入院しなければならないほど様態はとても悪かった。

入院してから二・三日ほどで疲労だけは回復した。しかし、念のためにと恵は一週間入院する羽目になった。病室には付添い人として山本レナの女性マネージャーが居る。恵は今や有名な芸能人で、個室であるこの特別病室からはどうしても出られない。そこで、何か買い物などあれば彼女がかわりに行った。

「三崎さん、すみませんけどお茶買ってきてくれませんか?

喉が渇いたが、お茶を切らしてしまっている恵が言った。雑誌を読んでいたマネージャーが恵の声に反応した。

「あ、はい。ついでに何か良い雑誌とかもあれば、幾つか買ってきましょうか?

「お願いします。いつもすみません」

「いえいえ、これもマネージャーの仕事ですから。それじゃ行ってきますね」

マネージャーが病院内にある売店へと出かけた直後、恵はベッドから起きて第三者が入って来ないよう病室のドアの鍵を閉めてから、退屈しのぎに窓の外に見える無機質で空気の悪そうな景色を眺めた。目覚めの良かった朝だというのに、十時を迎えようとしている上空には多忙なる灰色のガスが霧のように立ち込めていて、それを吐き出している地上一帯は建物がとても窮屈に犇めき合っている。恵はそれを見ただけで瞬時に吐き気を覚えた。この大都会で疲労に倒れた恵の体は、この決して美しいとは言えない光景に素直に反応してしまったようだった。悪い酔いをごまかすように、恵はずっと遠くに目をやった。そして憂鬱に、いつまで自分はこんな世界に居るのだろうか? と脱力感に似た感情で恵は思った。恵の口から溜息がこぼれた。と同時に、これまで仕事でごまかしていた切なさがどっと押し寄せてきた。――嗚呼、こんなはずではなかったのに。恵は思わず恋しい声で「正樹……」と小さく呟いてしまった。少ししてから、恵はふと窓ガラスに映った影を見た。すると男性の姿がうっすらと窓ガラスに反射している事に彼女は気付いた。恵は瞬間的な緊張と共にハッとして入り口の方へと思い切りに振り返った。――誰?

恵は硬直し驚いた顔をした。目の前には見るからに年上だと分かる男が立っている。男はただ優しそうに微笑むだけで何も言葉を発してこない。恵は一瞬考えた。確かにマネージャーが病室を出た後、人が入ってくる物音などは一切聞えなかった。もしかして自分のファンか誰かが隙を見て静かに入ってきたのか? いや、違う。そうならない為に、先ほど自分が横開きのドアの鍵を閉めたではないか。それじゃ、この人は一体――恵は少し混乱した。

「あなたは、あなたは誰なの?

恵は表情を更に固くして訊いた。

「……智彦だよ。向こうの世界のね」

男は微笑んだ顔で言った。

「え?

恵は思わず目を見開いておどろいた。確かに言われてみれば、智彦の面影がなんとなく見え隠れしている。しかし、当然恵は今すぐに信じることなど出来なかった。

「驚いた?

「……本当に、貴方は本当に智彦なの?

「ああ、そうだよ」

男は先ほどと同じく笑顔のままそう言った。

「嘘よ! 智彦はずっと昔に死んだわ! え? ちょっと待って、違う。向こうの世界?  もしかして、貴方はもう一つの世界から来た智彦だって言うの?

恵は気が動転しながらも思考を巡らせそう訊いた。そして男は恵を納得させようと言葉を返した。

「此処の僕は裕美と言う女性と付き合ってた。そして君と正樹がまだ付き合う前、君は僕に正樹のことについて訊いて来た。勿論、誰にも内緒でね。これで信じてもらえるかな?

咄嗟に恵は昔の事を思い出した。実は恵と智彦は、正樹と恵が付き合う以前から仲が良かった。正樹に初めて声をかける前日、恵は正樹の一番の親友である智彦に、正樹のことについて密かに訊いていた。そのとき、恵は正樹の事が恋愛感情的に気になると誰にも内緒で話していた。恵も一目惚れだったのだ。そして智彦は、それは正樹も同じ気持ちだろうと恵に返していた。恵はこの出来事を誰にも話していない。それは智彦も同じだろう。つまり、この事は智彦と恵しか知らないのだ。恵はここで驚愕した。

「驚くのも無理は無いよ。実際、僕も正直驚いている。なぜ此処の世界に来たのかってね。でも、その理由が今分かった」

智彦はそう発してから、少し俯きクスクスと少しだけ笑った。そして続けた。

「でもおかしいよ」

「え? 何が?

「いや、ここでの正樹も奥手だなと思ってね。本当に、あいつは何処でも変わらない。あいつが先に告白していれば……。いや、その話はやめておいた方が良いな。此処の君に話したところで運命が変わるわけじゃない」

智彦は笑いながら話すのを止めて病室の白い天井をふと見上げた。恵は彼が何を言いたいのかさっぱり分からなかった。ただ考えられる事は、彼はもう一つの世界の過去の事を話そうとした。それだけだった。智彦はゆっくりと間をあけてから続けた。

「まあ、向こうの世界での話しなんだけど、君と婚約したその夜に僕は交通事故に遭ってね。それからいつの間にか変な所をさまよってたら、突然色々なものを見た。此処の世界のね。そして最後に来たのが此処だった」

「え? あなたと私が婚約? どう言う事なの?

「そういう事だよ。とにかく、今はこれ以上向こうの話をしている余裕はない」

智彦がとても真剣な表情に変わって言った。彼は再び間を置くように一呼吸してから発した。

「君は今すぐ正樹に会いに行くべきだ」

「え?

恵は突然のその言葉に拒絶を覚えた。彼女は本心とは違う言葉を咄嗟に返した。

「嫌よ! 私、もう彼には会いたくない……。正樹は、正樹は私のことなんかとっくの昔に忘れたのよ。もう終わってしまったの……」

恵は横を向いて俯いた。智彦が彼女の右肩にそっと手を置いた。

「違う。それは違うよ」

「違ってなんかいないわ。私はこの目で見たの。正樹と女の人が……」

智彦はすぐに説得した。

「でもその後、正樹に君は会って話をしてないだろ? 君はただ誤解をして正樹に会わずに帰った。正樹とその女性は、結ばれた様でそうじゃなかったんだ。それにもう二人は別れたんだよ」

「別れた? だから何? 私はもう彼を許さない。そう決めたの。今更遅いわ」

恵は智彦を少し睨むようにしてから言った。

「本当は違うだろ? 君は今でもあいつの事が好きなはずだ」

「……」

恵は何も言えなくなった。

「昔も今も、正樹にとって必要なのはお前なんだよ! お願いだ。最後に一度だけでも良い。正樹の元に行ってあげてくれないか?

恵は力なくまた俯いた。智彦が彼女の両肩に手をまわした。そして言った。

「正樹は今、この病院の三階にある集中治療室に居る」

「え?

恵は思わず顔を上げて智彦を見た。

「あいつを此処に導いて、そして開放しくれ」

「導く? 私が?

「そうだよ。それは君にしか出来ない。大丈夫、全ては報われるはずだ」

突然、恵の脳裏に姉の知子が最後に言ったあの場面が映し出された。それはまるで、恵の中にいる知子が見せたようにとても鮮明だった。生きてそしてね、幸せになるの。これから本当に死ぬほど辛い事があっても、そこに隠された答えの意味が分かるまで――。大丈夫、全ては報われるわ。恵は急に悲しくなり涙を浮かべた。彼女は、もう終わりがすぐ其処まで来ている様な気がした。恵の唇は震えだした。

「もう時間だ。人が戻ってくる」

智彦は恵の肩から手を離した。恵は瞬時に智彦がこの場から消える事を察した。

「待って!

 咄嗟に恵は智彦を呼び止めた。恵は涙目に震えた声で訊いた。

「正樹は、正樹は死んじゃうの?

「……会いに行けば分かる」

 智彦はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。途端、恵の見る目の前で彼の全身から光が出始めた。光は徐々に強くなり、しまいには周りの影がどんどんと消えていく――一瞬、これ以上と無いストロボの様な明るい光が放たれた。と同時に、大きな光はあっという間に残像だけを残して恵の目の前から姿を消してしまった。恵がその光から通常に目を戻した頃には、智彦の姿はもうこの場から忽然と消えていた。そう言えば昔、奇妙な時間の中で母に会った時も、同じ様に大きな光が最後に放たれた。恐らく今起きたこの現象も、それと全く同じだろうと恵は唖然としながらも思った。恵はほんのわずかだが目眩がした。その直後だった。マネージャーがドアをノックした。恵はふらつきながらも鍵をあけた。

「どうしたんですか? なんか声が聞こえましたけど」

「……私、行かなきゃ」

 恵はそう呟いてマネージャーとすれ違った。そして彼女は急に走りだした。今、恵は一つの事しか頭にはなかった。

「ちょ、ちょっと、レナさん!

 マネージャーの声など恵の耳には届かなかった。恵は病室から飛び出し走った。周囲に気を配る事無く走った。今すぐ正樹の元へと彼女はただ思い切りに走った。遂に恵は辿り着いた。そして無理やりに近親者だと偽ってでも集中治療室の中へ入った。智彦の言うとおり、其処には確かに正樹が居た。しかし、悲しくもその日の夜、彼は死んだ。

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