無料小説 処女作品@「愛するということ」第六章 =41=

正樹と香織が出会ってから一年が経った。正樹はこの頃、関西や九州の方へと旅立った兄達とは音信不通の状態だった。そう言えば、兄達は元気にやってるのだろうか? ふと彼が思い出した夜の事だった。正樹は夕食と風呂を済ませて部屋に戻り、ビール缶のプルタブを引いて口を開けてから久しぶりに小型テレビの電源をつけた。正樹はここ数年ろくにテレビを見る事がなく、いつも激安ショップで購入した安物のミニコンポで音楽を聴いたり、やり始めたばかりのギターの練習をしたりすることが多かった。点いたチャンネルでは、見たことのないドラマが始まった所だった。正樹は何気なくその番組を見る事にした。

オープニングの音楽と共に、主演らしき男性がテレビに映し出されている。ちょっとして今度は、その相手となる恋人らしき女性の姿が映った。遠くからどんどんとカメラが近付き、画面一杯にその女性の横顔が映し出される。女性が正面を向いて微笑んだ。瞬間、正樹は目を見開いて驚愕した。

――恵!

正樹はすかさず近くに置いてあった番組情報誌を手に取った。今テレビに流されているドラマの欄を見てみる。主演:松下五郎・山本レナ……。違う、恵じゃない。でも本名は違うという事もあるし、まさか……」正樹は混乱した。正樹はテレビに目を戻した。ドラマは始まっている。正樹はふと恵と出会った頃の事を、ドラマを見ながら何時の間にか思い出して居た。あの頃、恵には特別なる美しさが確かに存在していた。彼は成長した今頃の恵の姿を思い浮かべた。多分きっとこの画面に映し出された女優と全てが同じか、あるいはもう少し上だろうと思った。

「芸能界か……。恵ならありえるけど、まさかな……」と、その時だった。

突然、正樹の携帯が鳴った。番号は香織だった。正樹は携帯を持った。

「はい、もしもし」

「“あ、正樹さん? 私、香織”」

「ああ、香織。どうした?

「“うん、ちょっと話したくなって……御免ね。疲れてる? ”」

「いや、大丈夫だよ」

「“今ね、駐車場に居るの。少しだけで良いから会って話したくて……駄目かな? ”」

「うん、分かった。今下りてくるよ。ちょっと待ってて」

「“うん。ありがとう”」

「それじゃ、切るよ」

「“うん、待ってるね”」

正樹は電話を切ると、一階に下りて外に出た。香織は車から降りて玄関口で待っていた。

「正樹さん!

 すぐさま香織が正樹へ愛しく抱きついてきた。香織はとても良い匂いのするブルガリの香水をつけている。正樹はその香りに無意識と恍惚した。

「今週、正樹さん仕事遅くて事務所に来ないから、それで会いたくなって……。御免なさい。でも私、正樹さんと土日以外でも会ってないと、どうにかなっちゃいそうで」

「……そっか」

 この時、正樹は香織がとても可愛く思えた。香織は少し火照った頬を正樹の胸元に当てたまま続けた。

「御免ね、仕事で疲れてるのに。怒ってる?

「いや、怒ってないよ。とりあえず、車の中で話そう」

 正樹は申し訳なさそうにしながらも言った。彼は未だに自身の部屋へ香織を入れることを躊躇していた。香織はそれを思いきりに気にしては居たが、気持ちを堪えてそれに対していつでも何も言わなかった。二人は駐車場へと行き、そして香織の車の中へと乗った。車の中には香織の好きな洋楽のバラードが流れている。二人は少しばかりその音楽に聴き入った。それからして、正樹から先に口を開いた。

「今、香織に似てる女優が出演してるドラマやってたよ」

「え? 私に似てる人? えっと、今日は木曜だから、多分……。え? 嘘! もしかして山本レナ?

 香織はとても驚いた反応を見せた。両手で女性らしく口を隠している。

「うん。多分その名前の人だと思う」

「もう、正樹さん褒めすぎ。全然似てないよ。でも嬉しい」

「いや、似てるよ。……恵にも」

「え? 恵?

「いや、違う。何でも無い」

 正樹は咄嗟に誤魔化した。一瞬だが、陰気な空気が車内に行き届いた。しかし、香織はそれ以上知らない女性の名前に触れる事はなかった。彼女は恵の名を一瞬で忘れたかのように話を戻して喋った。

「でも、山本レナって、前からちょくちょくとはCMに出てたんだけど、テレビで売れ出したのは去年からで、それまでは舞台の方をしてたみたい。そう言えば、年は私と同じで、同じ東京出身――」

 東京出身? やはりあれは恵ではないのか。正樹はふとそう思った。

「――ねえ、正樹さん。聞いてる?

「ああ、御免。御免」

「もう、ちょっと油断すると、すぐ他の事考えるんだから。正樹さん酷い」

可愛く怒った顔をする香織に対し、正樹は苦笑いを浮かべた。二人の乗る車内に、更にムードのあるバラードが流れ始めた。再び二人は音楽に聴き入った。少しばかり沈黙が漂う。今度は香織から言葉を発した。

「正樹さん。キス、したいな……」

香織はそう言うと、正樹の方へと瞳を閉じてキスを迫った。正樹はそれに応えるように、狭い車内で体勢を整えてから唇と唇をそっと合わせた。浅いキスの途中、香織が正樹の脇辺りを両手で弱々しく握った。そして、口紅をつけた唇から舌を出して正樹の口の中へと積極的に入れてきた。香織は更に正樹の舌へと官能的に絡めて行く正樹はそれに同調して、彼女の舌へと優しく巻きついた。キスは香織が止めるまで長い時間続いた。これで香織と濃厚なキスを交わしたのは何回目だろう? 今、こうしている間に、正樹の脳には恵とのあの熱いキスの場面が色濃く浮かびあがっていた。彼は今、恵とキスを交わしている感覚に陥った状態で、香織に絡み付いているのだった。

「それじゃ、今日はもう戻るよ」

 キスを終えて、しばらくしてから正樹が言った。

「うん、今日はありがとう」

 二人酔った時間の夢世界から、まだ抜け切らない様な顔をした香織が、かすかに大人の色気と恋しさを感じさせる声で言った。

「それじゃね」

 正樹が車から降りてドアを閉めた。そして寮の玄関口へと歩きかけた。その時だった。

「正樹さん!

 車から少し急いで降りた香織が正樹を急に呼び止めた。正樹は香織が寮の玄関口まで送ろうとしていると感づいた。正樹は半分だけ振り返って発した。

「ここで良いよ」

「あ、うん……。あ、あの、正樹さん」

違ったか? 一瞬正樹はそう思いながら「うん?」と香織に言葉を返してみた。次の瞬間、香織はとても悲しそうな顔をして言った。それはたまらない表情だった。

「正樹さんは、正樹さんは何時も、誰を見てるの?

正樹は正直、こんな香織を見たのは初めてだった。彼はあまりの突然さに思考を巡らせる事が出来ないまま思わず返した。

「え?

正樹は彼女が何を言いたいのか、この時は理解できなかった。香織は訊いてはいけないことを口にしてしまったと言わんばかりに首を横に何度も振った。

「ううん、ごめんなさい。何でもない。それじゃ、おやすみなさい」

 そう言ってから香織は車の中へと戻ろうとした。

「あ、うん。おやすみ」

 つい、どもり気味に正樹は言った。香織は上等なドアの音を立てて車に完全と乗り込んだ。香織は何時もの様に、正樹が寮の中へ戻った事を確認した後、車をゆっくりと動かし、玄関口を横切る瞬間に高級な音のするクラクションを一回だけ鳴らしてから帰って行った。正樹はいつも中に入ってから、クラクションが鳴るまで二階には上がらず、下で待った。この日の夜もそれは同じだった。正樹は部屋に戻り、点けっ放しだったテレビを消してから、静けさの中一人考えた。香織はもしかして、自分の中にある恵の存在に気が付いたのか? もしそうだとしたら、自分は気が付かないうちに、これから彼女を傷つけてしまうかもしれない。いや、それはもう既に始まってしまっているのではないか? 正樹はそう懸念したが、しかしどうにもならない過去からの思いを、彼はそれからも断ち切る事が出来ないで居た。

町の交差点の向こうからコチラへと歩み寄る香織。歩み寄りながらも、辺りに広がる雑踏の中で、周囲に目を凝らしながら一つ一つの顔を注意深く観察している正樹。そのうち二人は一つの点へと辿り着き、そしてそこからすれ違った人達を真似る訳でも無く、ただ自然と運命は違う所へと流れ、遂にはこの都会の何処かへと消えた。ただ二人のうち、別離の言葉を口にしたのは、香織の方が少し先だった。

出会ってから約一年半後。それは訪れた。正樹にとって香織の存在は、両親の死の鮮明さをやっと遠い記憶にさせるほど、それはとても新鮮で、より色の濃い女性だった。しかし正樹には、彼女がどうしても思い出とさせる事が出来ない女性の存在があった。恵である。香織はありとあらゆる方法でその見え隠れする存在を記憶の片隅へと運ぼうとするが、やればやるほどに彼女は自分がとても空しくなるだけだった。嗚呼、私は一体誰に哀れみを受ければよいと言うのか?――彼女は密かに自問し続けた。そして気が付けば、悲しくも正樹と香織の別れは、もう直其処まで来ていた。

二人にとって最後の日曜。それは木枯らしが吹き始めた夜だった。正樹はこの日も、気が付かないうちに恵の姿を一日中探していた。香織がそれに関して口にしたのは、この日の夜が最初で最後だった。この日も二人は車を使わずに電車でデートをした。何時ものように帰り道では腕を組んで夜道を歩く。それはまるで在り来たりであるように思えた。そして何時ものように寮の玄関口で別れを告げる。今夜もそれは変わらなかった。

「それじゃな。帰り、気をつけろよ」

「うん……」

「おやすみ」

 正樹は優しく言った。

「……」

 香織が急に口を閉ざして何も言わない。

「ん? どうした?

 正樹は気がかりになり思わず発した。香織が口を開いた。そして訊いた。

「正樹さん……」

「うん?

「正樹さんは、誰を探してるの?

それは、あまりにも唐突すぎた。

「え? ……」

正樹は凍りつくように固くなった。香織はかまわず責めるように言った。

「正樹さんはいつでも誰かを探してる。私がとなりに居るのに周りを探してばかり。デートの時は何時もそう。今日だってそうだった……」

急に香織が先ほどとは変わって溢れそうなほど涙目になった。

「正樹さんは私の事なんか好きじゃないのよ……」

正樹は涙もろい香織に慌てて言った。

「違うよ。俺はお前の事……」

 しかし、正樹は好きだと言いかけて止めた。香織はそれが悔しかったのだろう、我慢していた彼女の涙が頬を伝った。

「キスの時だってそう……、正樹さんは私じゃない人のこと想ってる。正樹さんは何時も、私で寂しさを紛らわしてるだけなんでしょ?

正樹は何も言えなかった。

「もういい……。分かった……」

香織は車のほうへ歩き出そうとした。

「ちょっと待てよ!

 正樹は香織の肩を掴みこちらへ振り向かせた。

「離して!

 香織は正樹の手を振り払った。正樹は香織に抱きついた。そして、香織が興奮した状態から少し落ちつくのを待った。香織は今、正樹の胸の中に蹲るようにして泣いている。香織は重くなる様な泣き声で発した。

「私、ずっと待ってたんだよ。正樹さんが私だけの事、見てくれるの……ずっと待ってた。それなのに、正樹さんは何時までも私を抱いてくれない。だから……、だから私、辛くて……」

「香織……」

 正樹は抱き締める腕に少し力が入った。少しばかりして、泣く事を止まない香織がまた訊いてきた。

「正樹さん、もう一回訊いてもいい?

「うん?

「正樹さんは、誰を見て誰を探してるの? お願い、教えて……」

一瞬、正樹の中に恵の温もりが蘇った。彼はたまらずにたじろいだ。

「俺は……、俺は誰も……」

「嘘よ!

 香織は正樹の胸元から離れて言った。彼女は何もかも悟っていた。

「正樹さんは何時だって他を見てる。何処か遠くの私の知らない人よ。私を見てない……。正樹さんは、正樹さんは、私のことなんか考えてないのよ」

正樹は途端に恵と別れたあの夜の事を思い出した。そう言えば、確かにあのとき恵も同じ様な言葉を言っていた。不意に今居る現在と過去のあの場面が、正樹の頭の中でごちゃ混ぜになった。正樹は少し虚ろに言葉を口にした。

「お、俺は只、俺は只、恵の事を――」

 その時だった。香織が咄嗟に自身の耳に両手を当て、正樹の言葉を遮る様に大声を発した。

「私とその人を重ねて見ないで!

 それはとてつもなく強烈な響きだった。正樹は我に返った。香織は号泣して続けた。

「お願いだから、お願いだから、もう見ないで……」

香織が顔をくしゃくしゃにして泣いているのを、正樹は只、見ていることしか出来ない。それはとても悲しい場面だった。

「……私、会社辞めるね」

 香織は崩れた顔を直そうと、必死で涙を止める様に天を仰いでから言った。正樹はこの一言に、今日が最後という決意を直感的に感じた。

「……御免、俺が悪かった」

 正樹は咄嗟に謝った。

「違うの。前から辞めようと思ってたの。だから、お願い、謝らないで。いいの。正樹さんのせいじゃないから」

香織の涙が少し落ち着いた。彼女は指で涙を拭ってから発した。

「私、知ってたの。正樹さんの過去の事。施設に入ってたって。正樹さんは私に隠してたけど、知ってた」

香織は再び天を仰いだ。そしてそのままの状態で言った。

「正樹さんは多分、施設で付き合ってた子が居て、その人の事、今もずっと好きなんだなって。私、分かるの。多分そうだって事」

正樹は思わず下を向いた。全ては見透かされていた。香織は続けた。

「私ね、正樹さん幸せにしてあげたいなって、心から支えてあげたいって思ってた」

「……同情で俺と付き合ってたのか?

 正樹は少し脱力した声で言った。

「違う! やっぱり正樹さん、私の気持ち全然分かってない」

 香織はそこまで言うと、ゆっくりと正樹の胸元へと顔を寄せた。正樹は再び香織を優しく抱き締めた。香織が愛しい顔をして正樹を見上げた。そして訊いた。

「正樹さん……、私との事、楽しかった?

「……」

 正樹は答えかけたが、言葉を発せなかった。香織はまた胸元に顔を埋めた。そして、号泣したような声で言った。

「私は楽しかったよ。とっても楽しかった……」

「香織……。御免な……」

 正樹は目を閉じて顔を香織の頭に近づけた。そして彼も涙を頬に伝わせた。素直と涙を零さずには居られなかった。香織は言った。

「ううん、私は大丈夫だから……」

香織は蹲りしがみ付く手に思わず力を込めた。そして彼女は更に言った。

「正樹さんが思ってる人に、その人に、またいつか会えると良いね。正樹さん、御免ね。代わりになれなくて、御免ね……」

 それはとてもとても優しさに満ち溢れた声だった。香織は泣き崩れてしまい、またしばらく号泣した。やがては泣き止んだ頃、彼女はそっと正樹から離れた。

「そろそろ帰るね。大丈夫、私、もう泣かないから」

そして次の瞬間だった。

「今までありがとう」

香織は無理して正樹に微笑んで見せた。瞳からは再びと涙が頬を伝い下へと零れ落ちている。正樹はそれを見て、とてもやりきれない気持ちになった。

「ごめんなさい……。また涙が止まらなくなっちゃった……」

「……」

 正樹は香織の顔を見たまま完全に何一つ言う事が出来なくなった。正樹は香織から視線を逸らし下へと俯いた。少ししてからだった。

「正樹さん」

 香織がはっきりとした声で言った。正樹は再び香織の顔へ向いた。香織は涙を止めて、そしてありったけの優しい微笑をしていた。

「正樹さんが探してる人、いつか見つけて幸せになってね」

 言って、香織は笑顔のまま涙を我慢した表情にかわった。そして彼女は最後に言った。

「さよなら、正樹さん」

香織は我慢した涙が零れるのを見られまいと直に車の方へと振り返り、そして早足に車へと乗り込んだ。しかし、彼女は車に乗り込んだままエンジンをかけない。今頃、香織は車の中で号泣しているに違いなかった。正樹は寮の玄関口から中に入り、そして靴置き場の所で立ち止まった。寮の玄関口を通り過ぎ様に、一度クラクションを鳴らしてから香織はいつも帰って行っていたが、この夜はそれを聞く事は無く、ただ彼女の車が通り過ぎていく音だけが聞えた。次の日から事務所だけではなく、もう何処にも香織の姿を見つける事は出来なかった。香織との交際は完全に終わってしまった。

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