無料小説 処女作品@「愛するということ」第五章 =34=

恵は南西諸島の南の端近くに位置する小さな島へ今、石垣島で乗り換えた船で向かっていた。隣には園長先生が居る。彼女は園長の提案で里親へと出たのだ。

「綺麗……」

 恵はとても透き通る海を見て、思わず口にした。

「そうだね。本当にこの辺りは何時来ても素晴らしい」

園長が遠くに見える島の影に気付いた。

「ほら、あそこに島が見えてきた。あれが今向かっている鳩居島だよ」

「小さいんですね」

「うん、さっき見えた竹富島や小浜島なんかと比べても、本当に小さな島だ」

少しだけ間が空いた。

「恵君」

 園長は遠目に向こうの島を見つめたまま、側に立つ恵を呼んだ。

「はい?

 恵は手摺に腕を乗せたまま、隣に立つ園長へ顔を向けた。

園長はそのまま鳩居島を見つめた状態で続けた。

「本当は何があったのかを言える時が来たら、何時でも良い。私に話しなさい」

「はい、園長先生」

恵は健二らの暴行のことを誰にも相談出来ず、あれから毎日を苦しんでいた。それはあからさまに第三者の目から伺えた。彼女は学校行かなかった。部屋に閉じこもり動こうとしなかったのだ。毎日行われる職員会議にて事情を察した園長は直接訳を訊くことにした。正樹の脱走の件もあり、事は迅速に進んだ。今回ばかりは荘を担当する職員の対応も最初から最後までとにかく早かった。女子と言う事もあった。男子ならば集団暴行でさえ担当の職員から見て事が非常に大きいと判断できない限り一々園長の耳に届くことはなかった。恵は本当の事を隠しながらも施設にいることがこの上なく辛いと話した。里親の話しが出たのはその為だった。

「とにかくあの島では少しばかり休暇をとる気持ちで過ごすと良い。君にはそれが今必要だからね。勿論、里親と君がお互いに気に入れば、養子縁組としてまた新しく話を進める用意もあるが、まあ、今は其処まで考える必要はありません」

「園長先生」

「ん、何かね?

「この前、梅雨の時期に、私と正樹と園長先生三人で話した時の事なんですけど」

「さて、そんな事があったかな?

 園長は、記憶に無いと首を傾げる様にして発した。

「『主はこう仰せられる、見よ、わたしはヤコブの天幕を再び栄えさせ、そのすまいにあわれみを施す。町は、その丘に建てなおされ、宮殿はもと立っていた所に立つ。感謝の歌と喜ぶ者の声とが、その中から出る。』」

「エレミヤ書第三十章、シオンの運命とヤコブの天幕が再生する話だね。確か今年の……そうだ、六月か七月に入った頃だったかな? 礼拝で取り上げた書の言葉だね。それがどうかしたのかな?

「いえ、あの、やっぱり解決は直にはないのかなと思って……」

確かに園長の記憶からは、あの日の出来事が始めから無かった様に消えている事を、恵は顔の様子から感じ取れた。彼女は再びあの少し遠くに見える島の方へと顔を戻した。園長は困りながらも発した。

「まあ正直、この時私が君に何を話したのか全く覚えが無いんだが、でもね、恵君。運命にはいつか必ず答えが見つかるものだよ。人生とは――」

「“人生とはある意味を探す旅。結果ではないその答えを導き出す事が、人に与えられた使命”」

「その通り。恵君、君は本当に賢い」

「園長先生が教えてくれた言葉ですよ。私はそれをそのまま暗記しただけです」

「いや、本当に最近物忘れが酷くなったようだ」

園長が苦笑いを浮かべた。それを横目に見た恵も少しだけ微笑んで見せた。

恵は健二の話が気掛かりだった。本当はそれまで話したかったが、彼女はタイミングを逃した様にそれを止めた。はっきりとは言わなかったが、多分あの話は、彼の姉が暴行に遭ったと言うもの。恵の心の中に先ほどまで隠れていた小さな不安が完全姿を見せた。彼女は自身の手が微かに震えだした事に気が付いた。

島に段々と近づいてきた。それと同時に彼女の不安も段々と大きくなってきた。いよいよ浜辺から沖へ一つ突き出した突堤から成る船着場に二人が乗る郵便船は着岸した。

「ああ、金城さん」

 船から降りた園長が、出迎えに来た里親の存在に気付いて発した。園長は続けた。

「こんにちは。お久しぶりです」

「こんにちは。お待ちしておりましたよ」

 いかにも人の良さそうな顔をした金城実という男がそう言葉を返した。彼は背が園長と同じ位に低く、顔は丸顔でやや肥満体型といった具合だった。金城実は園長から目を逸らし、今度は側に立つ恵の顔を見た。

「やあ、恵ちゃん。元気だったかい?

二人は児童相談所の一室事前に一度だけ顔を合わしており面識があった。

「こんにちは」

「ここまで結構遠くて草臥れたろ?

「はい。でも、飛行機からも、乗り換えた船からも、綺麗な海が見れたから全然大丈夫です」

「そうか、それは良かった」

 そう発してから実は再び園長へ顔を戻した。

「向こうに借りて来た車を置いてます。それじゃ、行きましょうか」

「はい、よろしくお願いします」

三人を乗せた車は、船着場から反対側に位置する『仲浜』と呼ばれる浜辺付近へ向けて走った。船着場から直、島のちょうど真ん中を北から南へと通った一本道と、左右に見える島を囲う様にして繋ぐ道とがぶつかる小さな三叉路があり、車はその内の森を越えて反対の海へと出る真ん中の道を選んで通った。途中、森の頂上辺りと言える高台に建つ灯台が目に入った。

「鳩居灯台だよ」

「森の中にある灯台なんて、珍しいですね」

 恵が言った。

「この島は周りが砂浜に囲まれていて低いからね。見晴しの良い高台と言えば、この辺り位なんだ。島自体小さいしね。それで此処に建ってるんだよ。ここなら島の沖の何処からでも見える」

恵は思わず「凄い」と一言漏らした。

車は島に一つしかない静かな森を越え、やがては反対側の渚へ辿り着こうとしていた。まっすぐに伸びた緩い下りから見える道端の林の間となる中央に、とても青い海が望め始めた。恵は今日、これで何度目だろうか? ここでも「綺麗」と思わず口に出した。それ位に、ここの自然は何もかもが新鮮だった。

車はようやく砂利が敷かれた駐車場に到着した。直そばの赤瓦屋根の家の軒には、ヤギと牛が兼用して飼われている小屋があり、その為か、少しばかり畜産の香りが此処には漂っていた。

「中へどうぞ」

 金城実が案内した。恵と園長は家の中へと入った。

「ただいま。おーい、迎え行ってきたぞ」

実は奥の方から聞こえてくるはずの声が聞こえてこない様子に首を傾げた。

「あれ? 恵美の奴、何処行ったのかな? ちょっと、コチラで座って待っててください。今、冷たい麦茶出しますので」

恵は居間の畳の上に園長と座ってからあたりを見渡した。純和風でかなりの古さを感じさせる内装だが、洋風とも言える綺麗な家に住んでいた恵にとって、それはとても新鮮に感じた。ふと、台所らしき場所へと目をやると、そこから実がトレイに麦茶と純氷の入った透明のコップを載せてこちらへと戻ってくるのが見えた。

実は戻ってくるなり、すぐさま麦茶を氷の入ったコップへと注いだ。

「どうぞ、園長先生。恵ちゃんも、はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

「いや~、今日は本当に暑いですね。いやね、此処最近雨も嵐も来ないもんだから、土から干からびちゃってて、もうこんな感じでこの島は毎日カラカラ陽気なんですよ。いや~、暑い暑い」

 実は扇風機の風を最大にして園長と恵の方へと向けた。実は話を続けた。

「いや、今さら言うのもなんですが、特に作間先生達の住む本島と比べると、此処は更に南にあるわけだから、そりゃ体感的にとても暑いですよね。そういう意味でも、彼女は此処に慣れるまで本当に大変かもしれません」

「煩い所から静かな所への環境の変化には、人は直に馴染みます。心配はありませんよ。暑さも直目の前の綺麗な海がいつでも癒してくれます」

 園長は恵を見つめてそう言った。

「恵ちゃん。今日からおじさんと君は『里親』と言っても親子だ。だから、都合の悪い事や、とにかく何でも良い。隠さずにおじさんに相談してよ」

金城実は、児童相談所で面会した時からとても優しそうなオーラを発した人物だった。恵は健二の話から考えていた島のイメージとは全く違う現実に、ホッとした安心感を抱いた。

「はい」恵は嬉しそうな笑顔で実にそう返した。

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