連載小説 愛するということ 第二章 9

 除霊所の入り口へ来た。瞬間、倫子とて未だ経験した事の無いとても強烈な何かが心臓目掛けて非常に重く、重く、何重にも圧し掛かかった。この霊気はこれまでの何よりも強く恐ろしい。やはりあれを使うしかない。一瞬、ただならぬ圧迫感から来る酷い目眩で倒れかけた倫子は、そこから何とか意識を正常に戻し、ある決意に満ちた目をしながらそう力強く言い聞かせた。
倫子が想像した以上に二番弟子達は服装がかなり乱れた状態だった。知子に取り付いた霊は彼女の魂を連れ去る際、怨念のみ体内に残したらしい。恐らく知子を監禁室へ運んだ際にその怨念は目を覚ましたのだろう。

「先生! こちらです!」
 倫子の帰宅に気付いた弟子の一人が慌てた様子で発した。倫子は監禁室のドアに設けられている覗き窓から中の様子を伺った。知子は監禁された部屋の中で気が狂ったように素っ裸の状態で暴れていた。そして覗き窓から見る倫子の存在に気付き、ドアへ“ドーン”と何度か体当たりしてきた。留守中の弟子達は電話越しから聞こえた倫子の言いつけ通りに、服はおろか部屋の中に道具など何も無い状態で監禁していた。知子の口と後ろに回された腕には白い襷が巻かれ縛られている。が、知子の胴体に取り残された怨念から成る常人を超えた凶暴な力はとにかく非常に強く獰猛だった為、足を縛るまでは留守中の彼女らにはとても不可能だった。
 霊気が途方もなく強烈だ。この怨念は外からの一般的な除霊法ではとても成仏させる事が出来ない事を、強烈な怨念の塊である霊気から倫子は悟った。
「恭子!」
「はい」
「これから私はこの中に一人で入る」
「え? この中に一人で?」
「そうだ」
「先生。幾らなんでも一人は危険です。私達も共に入りましょう」
「駄目だ! それでは犠牲が増えてしまう」
「それじゃ、ここから除霊をすれば――」
「出来る事ならそうしたいが、これだけ強烈な魂は、もはや中からでないと厳しい。これ以上時間が経てば、知子の魂が完全に食い潰されてしまう……。もう、どうにもならない所にこの怨霊は達している。今すぐにでも向こうの世界へ行かなければ」
「向こうの、世界……ですか?」
「恭子よ」
「あ、はい。先生」
「私が居なくなった場合の話だが……」
「居なくなった場合の話? どう言う事です?」
「全ては由美子に話してある。とにかく、よろしく頼む」
倫子が何かに対して意を決しているように恭子は見えた。しかし、それとは何なのか恭子ら弟子達は終わりを迎えるまで知る事がなかった。
倫子が妙な行動を起した事に恭子は気付いた。
「先生! 何を――?」
倫子は鋼鉄で出来たドアの前で全ての衣類を脱ぎ捨てた。それから数珠を両手に巻きつけたままの状態で掌を合わせ、腹の底から来る低く大きな声で経を唱えた。
「合図をしたら直にドアを開けなさい!」
ドアを挟んで直そこに居る“怨念”が憑依した知子が、目の前に居る“ユタ”の経に驚き、そして睨みながら後ろ歩きにゆっくり向こう端へ退いた。その時だった。倫子は合図と共に素早く中に入り、弟子たちに鍵を閉ざすよう力強い口調で命じた。
倫子の御経は相手の霊気が少しばかり弱まるまでのあいだ続いた。あれから辺りの時は、経の響きと共に大分経過した。そろそろ腕力自体も知子の体に相応しい所まで落ち着いてきた事を倫子は知子の形相から悟る。知子の表情は元の正常な状態に近付いている。勿論、この経を唱えている時点で“完全に戻る可能性”に関して倫子は全く期待などしては居ない。何度も言うが、この怨念は外からの一般的な除霊法ではとても成仏させる事が出来ない。もし、それが今まで出来たのならば、この建物の一画にあるガマに取り残された霊魂全ては、とっくに行くべき所へと辿り着かせる事が出来たはずだ。この手の怨念を完璧に成仏させる方法は今まで使う事が絶対に無かったが倫子は密かに知っている。しかし、それは「絶対の危険が伴う荒業」かつ、一つの怨霊のみにしか使えない、正に“対一のみへの自爆行為”とも言うべき最終手段だった。
全裸で中に入った倫子は、既に覚悟を決めていた。何としても娘を救わなければ。再度、そう心に強く呟いた。今、彼女は知子の息が届く所まで近づいている。知子に呪移った悪霊はこの時弱まりを見せていた。いや、封じ込められている知子の記憶が、経の力によって少しでも自身の体内へと戻り、そして、抵抗的に自身の体を制御していたのかもしれない。倫子が近付いても知子であって知子でない彼女は動くことを許されず、只々唸り声をあげるのが精一杯だった。
「神よ……」
 倫子はそう呟いた後、母として最後の温もりを感じさせる様に目の前の知子と肌と肌をびっしり合わせた。途端、知子の唸り声が硬直と共に止まった。倫子が再び優しく口を開く。
「知子……、御母さんが身代わりになるからね。大丈夫。直に良くなるから」
倫子が知子の頭へ両腕をゆっくり回した。
「何時でも天から見守っているからね。恵とケンカをしちゃ駄目よ。元気で頑張るのよ」
瞬間、とても眩しい光が密着した各部分から放たれた。段々その放たれた光は大きくなっていく。先ほどから中の様子を伺っていた恭子は紛れもなく見た。そして思わず叫んだ。
「先生――!」
倫子の全てが知子の体へ光を成し、ゆっくり、ゆっくり、入り込んでいく。
それから倫子は知子へ小さく呟いた。それは恭子の耳にも届いた。
「さよなら……。知子、恵、愛してるわ……」
終わりの予感を悟った恭子は、たまらずもう一度「先生!」と大きく叫んだ。彼女の叫び声は一瞬で倫子と知子の居る部屋中に届いた。瞬間、先ほどよりも明るいストロボのような光が、覗き窓から一気に外へ飛び出した。同時に恭子は意識を失い倒れこんだ。
「恭子さん――!」
待機する他の弟子達が気付き、彼女の元へと急ぐ。その内の一人が、光が放出された覗き窓から中の様子を伺った――。その弟子は目を疑った。倫子の体は完全にこの世から消滅し、もはや何処に視線を巡らせても影すら見当たらないのだ。只、そこにあるのは、恭子同様に光によって気を失った知子の姿があるだけだった。

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