エッセイ @外的要因と犯罪の関係

@外的要因と犯罪の関係
外的要因は当然ながらあるとして、それを大前提として不幸話を進めると、ルーツをたどれば親元にたどり着くことは言うまでもないことなのだが、不幸続きという過程の中で、人生の中で、自ら自爆することも確かにあるわけでして。けれどもそれはたいていの場合、上げ足をとられての事件がもととなっている。つまりは自己責任論では通用しない話となってくるのだよ。だからこそ非常にいびつで取り扱いづらいテーマでもある。何を話してもクレームが届きかねないからだ。
私はこのエッセイでコラムを語ろうとしているわけではないけれども、けれども冒頭はそんな感じになってしまったね。それらを反省しつつ、もうすこしトーンダウンして話を進めようか。最近、テレビでこんなことが発せられた。”生まれながらの不良品”。なんだかなぁ……。そんなこといったら、赤ちゃん全員不良品ですよ。何もできない状態から生まれるのだから当然です。真っ白から始まるのですよ、人生というものはね。前世があるという大前提の下で発せられた言葉なのかどうかは知らないけれども、そんな一言で切り捨てごめんとは、幾ら何でもひどい話だと思う。まっちゃんのこと好きなんだけれども、いつも楽しくツイッターのタイムライン観てるけれども、(あの番組に関してのね)今回ばかりは失言中の失言だと思った。
だからといって犯罪者をかばう気にはなれないことも確かであって、それ相当の厳罰をしてもらわない事には誰も浮かばれない。厳罰を被ることでその人は犯罪者ではなくなるのだから、報いは受けたのだから、その先の人生、来世というものがあれば、来世で、まっとうに生きてほしいと思うし、フォローも必要になってくるだろう。それが社会というものです。社会はみんなのためにある。協力し合って生きているのですよ。助け合うことは必須課題です。なので切り捨てはいけません。死刑というものは必要ですけれども。

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