散文詩 「初夏の夕べ」


「初夏の夕べ」
初夏の夕べは落陽もなだらかで、
東の風から緑のかほりがわずかに残された。
明日頃から落ち着き直して筆を持てる。
そう考えている私は時期尚早だろうか?
明星は誰かの落とし物であるように、
この愛も誰かの拾い物。
まんべんなく過ぎ去りし声は、
今日も君の耳には届かなかった。

滝川寛之の著書一覧
滝川寛之の著書(アマゾン公式)
公式ヒロキリスト一覧

富士通 デスクトップパソコン FMV ESPRIMO FHシリーズ
富士通 ノートパソコン FMV LIFEBOOK AHシリーズ

エッセイ @ときどき、ブログのほうで牧師としての説教を垂れるけれども。

@ときどき、ブログのほうで牧師としての説教を垂れるけれども。
私とてまだまだ未熟ものなのだが、いろんな経験を積んでいるだけに、それを活かすべく、礼拝と合わせて説教を述べたりしているというのは。ご存じのとおりだとおもう。礼拝というのは自身へ対してもよく行っており、万人へ向けたメッセージでない場合があるということも一つ付け足しておこうか。自分が教壇に立ち、説教を述べるというのは、本当に心が洗われるものがある。しごく気持ちの良い経験だ。
私は決して偉そうにしたいわけではない。誇ろうとしているわけではない。世の中には私の経験に対して先生と呼ぶものがいる。必要とされているのならば、そう思い、顔を出しているだけの話だ。目立ちたがり屋と立候補は違う。でもね、私は負けず嫌いでもあるけれども譲ることもしてきたのだよな。せっかく頂けるものは礼を言って頂戴しておいたほうが良い。頑張りますかな。
季節というものは酷なもので、秋と春の間に地獄が待っている。それをどうやりくりして快適に過ごすかというのが人生のテーマのようなものだろう。つまりは金がものをいうといえばそこまでなのだが、その金というものも人間性ができてないと得られるものでもないものだから、人は日々精進する。そこで一つ提案したいと考えているのだけれども、怠けるのと休憩は違うということを一つ考えてみてくれないか? 疲れたら休めばいいのですよ。死ぬほど我慢する必要はない。極力我慢して、それでだめなら休憩しちゃおうよ。そこから新しく見えてくるものもあるし、良い意味での転機というのも出現してくる。ただやみくもに精進してゆけばいいってものではないのだよな。とつくづく。
何故にそのようなことを話すのかというと、頑張りすぎてダメになった方々を沢山見てきたから。秋と春ばかりならそんなことになって無かったろうに。つくづくおもうことだ。誰だってピラミッドの上層にあこがれるでしょう? 最低辺の方なら、そりゃあ運も味方してくれないと無理なわけです。まあ、それらに関してまた機会があれば話そうかな。

滝川寛之の著書一覧
滝川寛之の著書(アマゾン公式)
公式ヒロキリスト一覧

富士通 デスクトップパソコン FMV ESPRIMO FHシリーズ
富士通 ノートパソコン FMV LIFEBOOK AHシリーズ